3000本安打クラブの中で、ピート・ローズとともに有資格者でありながら殿堂入りしていない訳あり選手。しかし成績としても、今ひとつではある。


日本ではパルメイロで通っているが、現地の発音ではパルマレーオが近いようだ。
キューバのハバナ生まれだがキューバ革命のために家族がアメリカに移住。
高校時代メッツから8巡目指名を受けるが入団せず。
1985年のドラフト1巡目、全体22番目でカブス入団。
同期にバリー・ボンズ、BJサーホフ、バリー・ラーキン、ウィル・クラーク、ピート・インカービリア、2巡目にはランディ・ジョンソンがいた。

キャリアSTATS

Palmereo


入団翌年にMLBに昇格。
初出場は1986年9月8日のフィリーズ戦、7番左翼で。3番二塁にライン・サンドバーグ、初安打もこの試合。8回にタイムリーを打つ。投手はトム・ヒューム。
1988年には3割を打ち、オールスターにも選ばれる。若手の成長株だったがこのオフに、ジェイミー・モイヤーらとともに7選手と交換でレンジャーズに。この中にはミッチ・ウィリアムスやカート・ウィルカーソンがいたが、パルメイロを手放した見返りにはならなかった。

レンジャーズでは一塁を守る。
調子の波は大きかったが、次第に長打が出るようになり、中軸に育っていく。
チームメイトにフリオ・フランコ、保安・ゴンザレスなど。

93年にFAとなり、オリオールズに移籍。5年2500万ドルは当時としては大型契約。
この時期が全盛期といえようか。一塁守備も安定し、ゴールドグラブを獲得する。
チームメイトにカル・リプケンJr,ロベルト・アロマー、同期のサーホフ、エディ・マレー、実に豪華。

99年にまたレンジャーズに。5年4500万ドルと年俸も跳ね上がる。イチローとは同地区であり、良く対戦していた。
この時期のチームメイトにはA-ROD、イヴァン・ロドリゲスがいた。

この選手は移籍して1,2年は活躍するが、次第に成績が下落する。

最後は、またオリオールズに。1年契約を2年、合わせて700万ドル。
チームメイトにはブライアン・ロバーツ、ミゲル・テハダなど。

晩年は、カンセコの暴露本により、アナボリックステロイドを使用していたと伝えられる。
本人は強く否定、2005年の7月15日のマリナーズ戦の5回、ピネイロから左翼タイムリー二塁打を打って3000本を達成。イチローはこれを右翼から見守った。ちなみにこの試合の7回にパルメイロは3001本目を中前に打つが、打たれたのは長谷川滋利だ。

しかし半月後の8月1日の検査で薬物陽性反応がでて、賞賛の声は批判の声に変わった。
チームは契約を更新せず、この年で解雇。

2011年から殿堂入り候補となるが、得票率は合格ラインの75%に遠く及ばない11%、12.6%、8.8%と推移し、2014年には足きりラインの5%を割り込む4.4%となって、殿堂入り候補から消えていった。

確かに薬物問題が最悪のタイミングで起こったのが大きかったが、パルメイロ自身、タイトルは最多安打が1回だけ、オールスター選出4回、ゴールドグラブ3回、シルバースラッガー2回と、傑出度において物足りない。
長期にわたってけがをせずにレギュラーを張り続け、そこそこの数字は上げたが、薬物騒動がなくても、ぎりぎり当選ではなかったか。

息子のパトリック・パルメイロは2008年22巡目(全体654位)でパイレーツ入りするが、才能は受け継いでいなかったようでAどまり。
2015年に独立リーグ、シュガーランドに移籍したが、このときに50歳になる父親のラファエルも一緒に入団。あくまで客寄せパンダだが、1試合だけ出場して2安打を放ち、一塁も守った。

倅は今年もシュガーランドでプレーしているが、その前途は甘くはなさそうだ。



豊田泰光、全本塁打一覧(後編・1960~1969、その他)|本塁打大全



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