究極のフランチャイズ・プレイヤー、ファンに愛された選手。



1955年生まれ。同い年にはウィリー・ウィルソン、チェット・レモン、ジャック・モリス、NPBでは江川卓、掛布雅之、大野豊、達川光男など。

1973年タフト高からドラフト1巡目全体3位でミルウォーキー・ブリュワーズに入団。同期にエディ・マレー、デーブ・ウィンフィールド、フレッド・リン、フロイド・バニスターなど。

キャリアSTATS

Robin-Yount


ドラフト指名の直後にマイナーのニューアークに入団。
翌年には早くもMLBデビュー。
初出場は74年4月5日のレッドソックス戦、9番遊撃で先発。初安打は5試合目の4月12日、オリオールズ戦、9番遊撃で5回に中前打、投手はデーブ・マクナリー。

20代前半は下位打線を打つ守備の人という印象だったが、野球人としては走りに近いウェイト・トレーニングを行ってパワーが増強され、1980年に23本塁打87打点、リーグ最多の49二塁打を記録。打球の速さが目立った。

1982年は、同い年のカンザスシティ・ロイヤルズ、ウィリー・ウィルソンと激しい首位打者争いをしたが1厘差で敗れた。
しかしチームはオリオールズに1ゲーム差をつけて優勝、ヨーントはMVP、遊撃手のゴールドグラブ、シルバースラッガーに選出された。

このころからミルウォーキーの最大のスターになっていく。
この時期のチームメイトは、捕手テッド・シモンズ、一塁セシル・クーパー、三塁には名コンビと言われたポール・モリタ―、左翼にベン・オグリビー、中堅にゴーマン・トーマス、DHでドン・マネー、先発のピート・ブコビッチ、クローザーにロリー・フィンガース。なかなかの顔ぶれ。

1985年に遊撃手から外野に転向。おそらくこれで寿命が延びた。

89年はチームは4位だったが、ヨーントはルーベン・シエラ、カル・リプケンJrなどを抑えて2度目のMVPに輝く。
このオフにFAとなり、エンゼルスへの移籍が確実視されたが、ファンの引き留める声が大きく、残留。年俸はそれまでの115万ドルから320万ドルに跳ね上がる。

90年以降、打率は急落するが、なおも4年、レギュラーでプレー。1992年9月9日のインディアンス戦で2番中堅として先発し、7回に二塁に内野安打、これが二塁打に。3000本目の安打だった。投手はホセ・メサ。

93年限りで引退。37歳、引き際は実にあっさりしていた。2年目から19年連続で規定打席に達していた。

1999年、資格1年目で77.5%を獲得して殿堂入りした。


豊田泰光、全本塁打一覧(後編・1960~1969、その他)|本塁打大全



nabibu-Yakyu01
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