兄弟選手で有名、弟のロイドは「リトル・ポイズン」、兄は「ビッグ・ポイズン」。

1903年生まれ。同い年にルー・ゲーリッグ、チャーリー・ゲーリンジャー、トニー・ラゼリ、トラビス・ジャクソン、ミッキー・カクレン、チック・ハーフェイ、カール・ハッベル。全員殿堂入りだが、ウェイナーは同年生まれで最多安打。日本では芥田武夫、天知俊一。

1923年にサンフランシスコ・シールズに入団。

キャリアSTATS

P-Waner


当時、西海岸にはMLBが進出していなかった。シールズはAAクラスだが、パシフィック・コーストリーグの強豪チームであり、実力的にはMLBとそれほど格差はなかった。
ウェイナーのチームメイトも大半がその後MLB入りしている。

1926年にピッツバーグ・パイレーツに入団していきなり首位打者相当(当時は規定打席ではなく、100試合出場以上で打率を比較したので、公式にはシンシナティ・レッズの34歳の捕手、バブルス・ハーグレイブが首位打者)。の成績を上げたのは、シールズのレベルの高さの傍証となろう。

初出場は1926年4月13日のセントルイス・カーディナルス戦、代打で四球を選んだ。初安打は4月17日のシンシナティ・レッズ戦、2番左翼で先発しピート・ドナヒューから安打を打っている。
パイレーツは3番中堅にキキ・カイラー、5番三塁にパイ・トレーナー、レッズの一塁はウォリー・ピップが守っている。

西の「異世界」からやってきていきなり首位打者を取ったこと、右翼を守ったこと、以後も安打を量産したことなど、イチローと重なる部分がある。

ただウェイナーは3番が定位置となり、翌年は打点王、MVPを獲得している。
4割を打ったことはないが、ナ・リーグでは屈指の強打者であり、ビル・テリーらと首位打者争いをした。
また、1年遅れてシールズから入団した弟のロイド・ウェイナーとは14シーズンに渡って外野を守り、最強の兄弟コンビを形成した。

1940年のシーズン中にブルックリン・ドジャースに移籍、さらに翌年はボストン・ブレーブスに移籍。酒癖が悪かったと言われ、これが一因かも知れない。弟のロイドも同時期にパイレーツを去っている。

以後はレギュラーを外れる。

ブレーブス時代、1942年6月17日のダブルヘッダーレッズ戦第1戦で、遊撃に内野安打を記録。これが3000本安打になるはずだったが、ウェイナーはこれを遊撃エディ・ジョーストの失策にしてくれと希望、同じ日の第2試合、2番右翼で先発し、レイ・スターから安打を打っている。打ち直しの3000本安打だった。

1944年、9月1日、ニューヨーク・ヤンキースに。はじめてのア・リーグ。フランキー・クロゼッティ、オスカー・グリムスらとプレーする。11歳年下のジョー・ディマジオは兵役に就いていたためチームメイトにはならず。

1945年限りで引退。

この当時は、引退翌年から殿堂入り資格があったが、1946年2.0%、1947年得票なし、1948年42.1%、1949年47.7%、1950年56.5%、1951年71.7%と得票を伸ばし1952年に83.3%で選出された。



1966年小川健太郎、全登板成績【エースとしての働き】



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