昨日の若菜嘉晴は安打数でNPB276位、サブローは158位だから、毎日紹介しても3ヶ月以上先になるが、昨日引退を表明したので、急遽紹介する。

1976年生まれ、同年に城島健司、二岡智宏、川井貴志、金城龍彦、草野大輔、赤星憲弘、渡辺俊介など。イ・スンヨプ、アルフォンソ・ソリアーノ、ポール・コネルコ、ハビア・バスケス、フレディ・ガルシアなども。

PL学園から1994年、ドラフト1位でロッテに入団。

キャリアSTATS

Saburo


入団してすぐにサブローという登録名になる。大村巌がいたためだが、イチローがブレークしていたことも大きかっただろう。私は偽物が出てきたのかと思った。

初出場は、1995年6月25日の福岡ダイエー・ホークス戦、8番左翼で先発。
初安打は、6月27日の西武ライオンズ戦、2回に小野和義からタイムリーを打っている。

高校時代は外野手だったが、入団後遊撃を守ったこともある。4年間は二軍暮らしが多かったが、1999年、諸積兼司、平井光親、大村巌、大塚明、ブレイディと多くの外野手が起用される中で、頭角を現す。
まだこの次点で本塁打がなかったが、2000年5月18日のダイエー戦で松本輝から初本塁打。
翌年は二塁にコンバートされるが、再び外野に戻される。

この次点までは、まだ首脳陣の信頼を得ていたとは言いがたい。しかしこのころから巧みな流し打ちや、勝負強さなどが評価されるようになる。

2005年には初の3割、ゴールドグラブを獲得。1回目のロッテ「下克上」の立役者の一人。「つなぎの4番」と呼ばれる主軸打者となっていく。

1000本安打は、2010年4月17日オリックス・バファローズ戦、6番右翼で先発し、5回裏に金子千尋から左中間へ2ラン。
この年はロッテの「下克上」の年だったが、サブローは下位打線にあって怖い存在だった。
守備は勘が良かった印象。失策も少なく、堅実だった。

特徴的な「サブロ~~!」という本拠地での選手アナウンスもあって、人気選手となっていくが、2011年シーズン中に突然巨人に移籍。「大村三郎」と本名に戻る。瀬戸山球団社長との確執が噂される。

2011年限りで瀬戸山社長が辞任するとロッテにFA権を行使して復帰、登録名もサブローに戻している。
2012年は最多四球を記録。選球眼も良く、円熟した打者になっていく。

40歳の今季は、一軍出場はなし。二軍では56試合95打数23安打4本塁打11打点、打率.242。この起用を見ると、シーズン当初はまだ戦力として評価されていたと思われるが、引退を申し入れた。

実質的に廃部になったPL学園出身選手は、こういう形で少しずつ減っていくのだろう。

「僕はロッテの人間。どんな形であれ力になりたい」と言う言葉に、いろいろなことがあった彼の思い入れがこめられている。



1964・65年渡辺秀武、全登板成績【初勝利を完封で飾るもその後は・・・】



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