強肩、俊敏な遊撃手。V9後半から80年代にかけての守備のかなめだった。



1951年11月生まれ。同年生まれに門田純良、新浦壽夫、木下富雄、八重樫幸雄、鈴木葉留彦、佐野仙好、柳田豊、岡持和彦、加藤博一。MLBではデーブ・ウィンフィールド、デーブ・パーカー、バディ・ベル、バート・ブライレブン。

八幡浜工から1969年ドラフト5位で巨人に。巨人1位は小坂敏彦。

キャリアSTATS

K-Kono


初出場は2年目の1971年9月24日、後楽園の阪神戦。8番遊撃で先発。
しかし2年間は2軍暮らし。初安打は1973年4月25日、後楽園での阪神戦。8番二塁で先発し、4回に権藤正利から打つ。V9最後の年。

いきなり1974年にダイヤモンドグラブ賞。とにかく鉄砲肩で、スナップスローもずば抜けていた。

打撃は荒っぽく、三振が多く、守備の人という印象だったが、次第に打撃でも頭角を現し、1977年に規定打席に達しベスト9に。長打もあり、足もあった。

キャラ的には全く地味だったが、野球ファンでなくても誰でも知っている選手だった。

同時期に山下大輔がいたためにダイヤモンドグラブ賞は1度だけだ。山下が守備範囲の広さとグラブさばきが売りだったのに対し、河埜は何といっても肩だった。

1980年以降、二遊間を組んだ篠塚利夫が、二塁寄りに逆シングルで取った打球を河埜にグラブトスし、河埜が一塁送球するというプレーを何度か見た。芸になっていた。
体幹が強い、という印象だ。

1000本安打は、1984年9月5日のナゴヤ球場の中日戦、2番遊撃で先発し3回、鈴木孝政からソロ本塁打を打つ。

1985年、岡崎郁に遊撃のポジションを奪われる。翌年引退。
以後も長く巨人で指導者、フロントとして勤める。

弟の河埜敬幸は南海の二塁手。グラブさばきは兄にそっくりだった。兄を上回る1384安打。
兄弟そろって1000本安打は河埜兄弟とリー兄弟だけ。



1970年松岡弘、全登板成績【投げれど、投げれど勝ち星は増えず】



nabibu-Yakyu01
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