今年死去。アスレチックス時代はユーティリティ・プレイヤーという評価だったが、タイガースに移籍してから驚異の選球眼を発揮しだした。

1959年4月生まれ。同い年にライン・サンドバーグ、ハロルド・ベインズ、ティム・レインズ、トッド・ウォーレル。仁村薫、小松辰雄、池田親興、山沖之彦ら。

1977年6月ドラフトでシアトル・マリナーズから16巡目で指名されるも行かず。翌1978年1月ドラフトでニューメキシコ兵学校からドラフト1巡目、全体10番目のモントリオール・エキスポスへ。

キャリアSTATS

T-Philipps


出世はそれほど早いとは言えない。1980年8月31日にウィリー・モンタネスとのトレードでサンディエゴ・パドレスへ。マイナー・リーグのシーズンは終了していたが、翌81年3月27日に今度はトレードでオークランド・アスレチックスへ。
翌年MLB昇格。
1982年5月10日のボルチオモア・オリオールズ戦で9番遊撃でデビュー。初安打は5月12日の同じカード、9番遊撃で6回にマイク・フラナガンから左前打。
アスレチックスの1番はリッキー・ヘンダーソン、5番二塁でデービー・ロープス。

2年目にはほぼレギュラーになるが、二塁、三塁、遊撃に外野も守る便利使い。1989年にはバッテリーを除くすべてのポジションを守った。
長打も少なく、足もなく、目立たない選手だったが、89年オフにFAとなり、デトロイト・タイガースと契約。

守備位置は相変わらず定まらなかったが、このころから選球眼が向上。出塁率は4割を超え、OPSも.800をオーバー。いきなり貢献度の高い打者へと変貌する。
1993年は1番を打って132四球。盗塁も16記録。MVP投票で16位に入る。
30代半ばから大きく伸びた。

95年にトレードでエンゼルスへ、またタイガースを経由して(プレーせず)96年ホワイトソックスと目まぐるしくチームを変わる。

2000本安打は1999年7月5日のテキサス・レンジャーズ戦。1番二塁-左翼で先発し、6回にジョン・バーケットから右前打。アスレチックスの5番はジェイソン・ジアンビ。

この年の11月にFAとなったが、2002年にメキシカン・リーグのメキシコシティ・ディアブロス・ロハスで二塁手としてプレー。

そして52歳になる2011年は独立リーグ、ユマ・スコーピオンズ、2012年はエディンバーグ・ロードランナーズ。

さらに昨2015年は56歳でピッツバーグ・メットルで二塁手としてプレー。
このチームには50歳のホセ・カンセコ、38歳のアーロン・マイルズもプレーしている。
このチームが所属するパシフィック・アソシエーションは吉田えりを投げさせたマウイ・イカイカなどもあり、客寄せ目的の契約と思われる。

それにしても試合に出るくらいだから健在だと思われたが、今年2月17日、心臓発作で死亡。56歳だった。

オールスターには一度も出場できなかった。


1966年小川健太郎、全登板成績【エースとしての働き】



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