98歳、まだ健在とは驚いた。レッドソックスの花形二塁手。



1918年4月生まれ。同い年に長年のチームメイトだったテッド・ウィリアムス、ミッキー・バーノン、ピー・ウィー・リース、ボブ・フェラー、エディ・ロパット。日本では藤本英雄、平山菊二。川上哲治より2歳上。

西海岸、カリフォルニアの生まれ。1934年、マイナーのハリウッド・スターズに入団。チームメイトにビンセント・ディマジオがいた。
1936年、レッドソックス傘下のサンディエゴ・パドレスに移籍。ここではディマジオに加え、テッド・ウィリアムスも同僚。

キャリアSTATS

B-Doerr


1937年、MLBに昇格。初出場は4月20日のオークランド・アスレチックス戦。1番二塁で先発し、4回に中前打を打つ。投手はハリー・ケリー。4番は兼任監督のジョー・クローニン。テッド・ウィリアムスより2年早かった。

翌年にはレギュラーとなる。
シュアな打撃に加え、守備範囲の広い二塁守備で鳴らした、414守備機会無失策、サイクル安打2度。
1945年は兵役に就く。

テッド・ウィリアムス、ドム・ディマジオ、ジョニー・ぺスキーら個性的な選手をまとめるリーダー的存在だった。
デビッド・ハルバースタムにこの4人の友情をえがいた「The Team Mate」という作品がある。2003年刊行。この当時は全員生きていたのだから、今昔の感がある。
日本では「鳥には巣、蜘蛛には網、人には友情。」という名で翌年刊行されたが、野球を知らない訳者がやっつけ仕事で翻訳したために、最悪の内容となっている。英語力のない私は、再翻訳を期待したいところだ。



非常に人気があった選手であり、オールスターに9回出場。

2000本は1951年7月1日のヤンキース戦。5番二塁で先発し、9回にエド・ロパットから左前打。
1番中堅ドム・ディマジオ、2番遊撃ジョニー・ぺスキー、3番左翼テッド・ウィリアムス、ヤンキースは2番遊撃フィル・リズート、3番捕手ヨギ・ベラ、4番中堅ジョー・ディマジオ、5番一塁ジョニー・マイズ。うっとりするような顔ぶれである。

1951年、背中を痛めたことで引退を決意。まだ33歳。成績は全く落ちず、非常に惜しい引退だった。2500本は固かったと思う。

背番号1は永久欠番。1986年ベテランズ委員会によって殿堂入り。



1976年柳田豊、全登板成績【援護あったら2ケタ勝利も】



nabibu-Yakyu01
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