サブロー、倉義和、廣瀬淳、引退する選手の引退セレモニーを公式試合でやるのが定着したようだ。

三浦大輔もその予定だ。

公式戦に、戦力外になった選手を1打席、打者1人とはいえ出場させて記録に残すのは、問題があるとずっと言ってきた。
引退する投手が登板すれば、対戦する打者の多くは、敵チームであっても花を持たせようと考えるはずだ。球から何十センチも離れて空振りをするような醜態がしばしばみられる。
打者の場合も、投手が好球を投げて安打を打たせようとすることがよくあう。こちらはうまくいかないことも多いが。

もし、引退する選手と対戦する打者や投手が、花を持たせるために空振りをしよう、安打を打たせようとするなら、これは明らかな敗退行為だ。

第177条 (不正行為)

選手、監督、コーチ、又は球団、この組織の役職員その他この組織に属する個人が、次の不正行為をした場合、コミッショナーは、該当する者を永久失格処分とし、以後、この組織内のいかなる職務につくことも禁止される。
(1)所属球団のチームの試合において、故意に敗れ、又は敗れることを試み、あるいは勝つための最善の努力を怠る等の敗退行為をすること。


勝つための最善の努力をしたということはできない。もちろん、投手も打者もそれを否定するだろうが、そういう疑念を生じさせる状況のはずだ。

これを「美談」のように書き立てるメディア、そしてファンの心理は私には理解しがたい。
こうした状況が許されるのは、ボストン・レッドソックスのデビッド・オルティーズのように、引退を宣言したとはいえ誰から見ても実力的に十分であり、打線に組み入れても何ら不自然な感じがない場合に限る。

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今季一度も試合に出ていないような「終わった選手」を、公式戦に出場させるのは、文字通り、「公私混同」だ。私の事情=引退を、公の場=公式戦に混入しようというものだ。

昨年などは優勝が懸かるような重要な場面で引退セレモニーを混入させたこともある。球団関係者の感覚が狂っているとしか言いようがない。

引退する選手の最後の雄姿を、公式戦のファンに見せたいということだろが、それなら始球式や、試合前のセレモニーでやればいいのだ。
これも一種の「感動ポルノ」だと思う。

あえて書くが、サブローはともかく、廣瀬純や倉義和程度の実績の選手は、いつの間にか消えていったものだ。それが厳しいプロの世界の掟だったはずだ。

ロッカーを空にして黙って去っていく、それが弱肉強食のプロの美学ではないのか。

このクラスの実績の選手は、さっさと消えていけば良い。
本人だってそんなことを望んだわけではないだろう。
仲間内やファンがプライベートで送別会をするのは、何の問題もないが、公式戦に汚点を残すなどもってのほかだ。



1976年柳田豊、全登板成績【援護あったら2ケタ勝利も】



nabibu-Yakyu01
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