昔の引退試合は、春先や秋のオープン戦の合間に行われた。国技館の大相撲の引退興行と同様、その収益は経費を差し引いて選手の餞別となった。


チームと選手が1日時間を空けてつきあうというのだから、そこまでしてもらえる選手は、本当に特別だった。
サブローのクラスでもちょっと無理だったのではないか。ましてや廣瀬や倉、小松クラスではありえなかった。

最近、こういう形の引退試合がないのは、そういうスケジュールが組みにくいためともいわれるし、会計上、球団がそういう餞別を選手の贈与することが難しくなったためとも思われる。

今の、公式戦の中での引退試合やセレモニーは、事情が全く異なる。
選手に餞別を渡すためではなく、球団が選手の引退を出しに、一儲けするためになっている。
多少は餞別も渡すかもしれないが、昔の趣旨とは大いに異なっている。
世知辛い世の中になったものだ。

私がこうした「感動商法」に否定的なのは、先ほども言ったように、日本人の劣化の証左としか思えないからだ。
「感動しろ」といわれて「はい、感動します」というような人が、こんなにたくさんいることにうすら寒いものを感じる。
昨日の国会の例を引いたのは、いくら安倍晋三が「自衛隊に感謝を」と言ったかしれないが、これまで全く前例のない、アメリカの猿まねのようなスタンディングオベーションを無批判にする自民党の政治家に、感動せよと言われて感動する客と同質のものを感じたからだ。自衛隊をどう思うかとは別個の話として、政治家としての自覚や矜持はどこへ行ったと思ってしまったのだ。

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それはさておき、この野球界の「感動商法」は、これからどこへ向かうのだろうか。
先ほども言ったように「引退試合」をする選手のハードルはどんどん下がっていくだろう。同時に、試合中に飛ばす風船やお遊戯の類はもっとバリエーションが増えていくのだろう。
嫌だなあと思うのは、そういうものが増えれば増えるほど、球場で、目の前で行われている「野球」そのものが、遠くなっていくだろうと思うからだ。

マスメディアは、すでに野球の試合など面白くないと思っている。その証拠に、スポーツ中継以外のTVが投手を映すときには、投手の指先から放たれた球の行方ではなく、投げた後の投手の顔を映すのが常套になっている。その投手が男前とか、格好いいとか、悔しそうとか、そういう表情をとらえようとするのだ。

地上波でやるオールスター戦で、試合の様子はろくに中継せずに、選手を放送ブースに呼んできてしゃべらせたり、タレントのコメントを挟むのも同様だ。
NPBの球団もこのノリに参加している。野球ではなく「球場の雰囲気」を高めることに重点を置いている。

かつてダイエーホークスの高塚猛社長は
「いまどき野球を真剣に見ている奴なんているか!球場にはみんな騒ぎに来ているのだ」と言った。それ以後、球場のテーマパーク化に拍車がかかった。

こうした「野球以外」のために、球場に足を運ぶ客は、ずっと顧客でいてくれるのだろうか。

あるときはっと、「なんて自分はくだらないことをしているのだ」と気が付いて、スタジアムに行くのをやめてしまわないだろうか。

昔気質の野球ファンは、そういう危惧を抱いてしまうのだ。



1976年柳田豊、全登板成績【援護あったら2ケタ勝利も】



nabibu-Yakyu01
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