ルー・ゲーリッグの時代から、テッド・ウィリアムスの時代まで活躍した強打者。

1905年11月生まれ。同い年にドック・クラマー、レッド・ラフィング。日本では稲川東一郎。

タコマ出身。1929年、ウィチタ・アビエイターズに入団。

キャリアSTATS

Bob-Johnson


2歳上のロイ・ジョンソンが1926年にマイナーのアイダホに入団、1929年にはデトロイト・タイガースに昇格していたから、ボブもそれに触発されたのだろう。
十代半ばからスカウトに注目されていたが、プロ入りは24歳と遅かった。

マイナーでは長打を発揮して頭角を現し、1933年にはフィラデルフィア・アスレチックスからMLBデビュー。すでに28歳。
初出場は4月12日の開幕戦、6番右翼で先発し、5回に左翼へ二塁打。投手はゼネラル・クローダー。

以後、MLBをやめるまでの13年間、ずっと規定打席を維持。テッド・ウィリアムスやタイ・カッブにもできなかった記録だ。

無理のない自然な打撃フォームから、鋭いライナー性の打球を飛ばした。また選球眼もよかった。

兄のロイもタイガース、レッドソックスで7年間規定打席に到達している。二人は打撃ランキングの常連だった。

兄はエキサイティングするホットな選手として知られたが、弟は物静かだった。

オールスターには7回も選ばれている。人気もあった名選手だった。

1943年3月にトレードでセネタースに、翌年金銭でレッドソックス、1945年、規定打席に達して.280をあげながらもリリースされる。38歳ではあったが。

2000本安打は1945年7月29日のワシントン・セネタース戦。4番左翼で先発し、6回に左翼に二塁打。投手はミッキー・ハフナー。日本が敗戦する17日前のことだ。
アメリカは太平洋戦争を戦いながらも、ペナントレースを行っていたのだ。

MLBを退いてからも6年にわたってマイナーでプレー。チュアナ・ポトロスを最後に引退したのは45歳のときだった。

風貌からインディアン・ボブと呼ばれたが、彼は「アメリカ国籍だ」と答えたという。
兄のロイ・ジョンソンは4359打数1292安打58本塁打555打点打率.296。
兄弟そろって一流選手だったと言えよう。



1976年村上雅則、全登板成績【復活への兆し】



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