しぶい職人肌の三塁手。激しいポジション争いに巻き込まれた。


1957年2月生まれ。同年生まれにブレット・バトラー、ルー・ウィテカー、ティム・ワラッチ、リー・スミス、トム・ヘンキー、ダグ・ジョーンズ。日本では高橋慶彦、北村昭文、金森栄治、鹿取義隆。

ウィルコックス高から1975年ドラフト3巡目で地元カリフォルニア・エンゼルスに。

キャリアSTATS

C-Lansford


順調に出世して、1978年にMLBデビュー。
初出場は、開幕2戦目の4月8日、オークランド・アスレチックス戦。代打で出場。初安打は4月16日のアスレチックス戦、7番三塁で先発し、7回にジョン・ヘンリー・ジョンソンから左前打。

この年は規定打席に満たなかったが、新人王投票で、同い年のルー・ウィテカー、ポール・モリタ―に次ぐ3位となる。

守備範囲の広い三塁手としてレギュラーに定着。2番を打って3番ロッド・カルーにつなぐ役割だったが、1981年、ブッチ・ホブソンらとのトレードで、ボストン・レッドソックスへ。

この年首位打者。シュアな打撃が開花した感があった。翌年も3割を打つが、翌年、ウェード・ボッグスが控えながら.349を打って急速に台頭。チームはボッグスを正三塁手に据えて、ランスフォードをオークランド・アスレチックストレードする。

移籍1年目の1983年は故障もあって80試合の出場にとどまるが、以後、アスレチックスの中心選手として活躍。
ただ本塁打は十数本、出塁率も平凡。あまり売りのない選手ではあった。レジー・ジャクソン、マーク・マグワイア、ホセ・カンセコ、リッキー・ヘンダーソンなど、個性の強いアスレチックスの選手の中では、地味な印象だった。

30歳を超えたころから積極的に盗塁をするようになり、四球も増える。ポジションを維持するために奮起したと思われる。

1990年オフ、スノーもビルで両足骨折の大けが。引退かと思われたが、1991年7月に復帰。この年に11月にFAとなるが、12月に再度契約。
翌年は、完全復帰して規定打席に達した。逆境を克服したとして、フレッド・ハッチンソン賞を受賞した。
しかしこの年限りで引退。まだ35歳。

2000本安打は引退年の6月13日のテキサス・レンジャーズ戦。2番三塁で先発し、1回に左中間にソロ本塁打で記録。投手はボビー・ウィットだった。




1975年佐伯和司、全登板成績【2年ぶりの2ケタ勝利】


nabibu-Yakyu01
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