守備では21世紀最高の三塁手と言ってよいと思う。
1975年4月生まれ。同年生まれにはA-ROD、デービッド・オルティーズ、トリ・ハンター、ティム・ハドソン、フランシスコ・コーディロ。日本では松井稼頭央、上原浩治、高橋由伸、高橋尚成、平井正史、井端弘和、川上憲伸、金子誠、福浦和也。
1993年ジャスパー高から2巡目でフィラデルフィア・フィリーズに入団。同期の意の一番はA-ROD。
早くからプロスペクトとして注目され、4年目にMLB昇格。
MLB初出場は1996年8月1日のセントルイス・カーディナルス戦。6番三塁で先発し、4回に右二塁打。投手はドノバン・オズボーン。カーディナルスの1番遊撃はオジー・スミスだった。
翌年には、三塁に定着し、1位票を100%取る圧倒的な票差で新人王に選ばれる。次点はリヴァン・ヘルナンデスだった。
翌年にはゴールドグラブを受賞、100打点にも達し、スター選手の仲間入りをする。
フル出場すれば、三塁の守備機会ではリーグ1になるのが当たり前。とにかく守備範囲が広い上に、球際に強く、どんなゴロでも処理する強みがあった。
4歳下のエイドリアン・ベルトレも守備範囲は広かったが、捕ってからの確実性ではローレンの方が上。肩も強かった。
故障で欠場したシーズンもあるが、投打ともに安定した成績を残す。
しかし2001年就任した遊撃手上がりのラリー・ボーワ監督と対立し、2002年シーズン中にダグ・ニックル+金銭でセントルイス・カーディナルスにトレードされる。
このシーズンもオールスターに選出され、ゴールドグラブを取る。
カーディナルスでも安定した成績を残す。しかし左肩痛のため、2007年シーズンに戦線離脱。
2008年1月にトロイ・グロスとのトレードでトロント・ブルージェイズへ。
2009年シーズン中に、今度はトレードでシンシナティ・レッズへ。
このころになると故障のために、フル出場は厳しくなっていたが、2010年は久々に元気で、規定打席に達し、オールスターに選出され、ゴールドグラブを取る。
2011年も好調で、オールスターにも出るが7月末にDL入りしてシーズンを終えた。
2012年にFAとなって引退。
2000本安打は2011年7月4日のセントルイス・カーディナルス戦、4番三塁で先発し、1回にクリス・カーペンターから中前打。ちなみに彼とも同い年である。
レッズの3番一塁はジョーイ・ボットだった。
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あのサードの守備は本当に素晴らしいものがありましたねー