ドラフト制度は、もともとがアメリカのプロスポーツ界で、有望選手の過剰な争奪合戦とそれに伴う契約金の高騰を抑制するために導入された。

NFLが始めた制度だが、MLBとNPBは、1965年に導入している。
MLBの場合はニューヨーク・ヤンキースの独走を阻止したいという他球団のオーナーの意向が働いたと言われる。
NPBは、西鉄の西亦次郎が前年のオーナー会議で提起したのがきっかけだった。西は「来年から大リーグでもドラフト制度が導入される」と切り出したようだ。
パ・リーグは、南海、西鉄などの有力球団が、巨人などセのチームに選手を奪われるケースが続出していた。
鶴岡一人は、南海への入団が確実だった選手として、長嶋茂雄、柴田勲らの名前を挙げている。南海が素材を発掘し、苦労して入団にこぎつけた有望を選手を、巨人が後から横取りする。巨人のスカウトは、選手ではなく南海や西鉄のスカウトの後を追いかけていたとさえ言われる。
巨人は金だけでなく、様々な便宜を選手に与えた。一時期は「吉永小百合に合わせてやる」が殺し文句だったこともある。

パの要望が通って1965年オフのドラフト導入が決まった。巨人が強硬に反対しなかったのは不思議だが、当時、正力松太郎が存命だったのが大きいのではないか。正力は、民主主義者でも何でもなかったが、興行としてのプロ野球全体の発展を考えていた。
展覧試合のときに、昭和天皇のご説明役にパ会長を充てるなど、バランス感覚があったのだ。

ドラフトによって、リーグの戦力均衡が進んだ。
15年ごとの優勝球団の推移を見る。

Draft-1965-2016


1965年から始まった巨人のV9は、ドラフト以前に入団した選手によるものだった。
しかし以後は、広島、ヤクルトと初優勝チームが登場した。
パは皮肉なことにドラフトを推進した西鉄、南海が没落し、阪急が台頭。南海入団が内定していた長池、68年入団組の福本、山田、加藤が原動力となった。黒い霧事件により、西鉄、東映が身売り。

1980年代に入るとセは大洋(横浜)を除く5球団が優勝を経験、パはドラフトに加え、ドラフト外でも有望選手を次々と獲得した西武が覇権を握る。この時期の西武は、ドラフト前の巨人に匹敵するような札束構成で強大なチームを作った。この時期に南海と阪急が身売りする。

1995年からの15年間、そして2009年からの7年間は両リーグともにシャッフルが進んだ。

巨人はどの時期を通じても、最も優勝回数が多い。しかし1980年以降は絶対的優位ではなく、相対的優位になった。戦術面やマネジメント面での先進性はあっただろうが、江川事件に代表されるような強引な選手獲得、そして93年から導入されたFA権によって、かろうじて優位を保っている。

パは西武、ダイエー=ソフトバンクという金満球団が優勝回数を伸ばした。いわゆる根本=坂井ラインで、ドラフト結果に左右されない補強を進めた。

しかしドラフト導入以降の半世紀、リーグの戦力均衡は確実に進んだ。
そして観客動員は、飛躍的に増大した。
1965年875.2万人 (セ・リーグ 625.1万人 パ・リーグ250.1万人)
2016年2498.2万人 (セ・リーグ 1384.9万人 パ・リーグ パ・リーグ1113.3万人)
全体ではほぼ3倍、セは2倍、パは4倍に増えた。

今や、どの球団にも熱心なファンがいる。

半世紀前、東映と広島が日本シリーズをしたとしても、ローカルな話題にしかならなかっただろう。
今年の日本ハム、広島の日本シリーズは、20%を超える高い視聴率を得て、日本中が注目した。

不完全な制度ではあるが、ドラフトはうまくいったと言えるのではないか。




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