60年代を代表するホームラン王。
1936年6月生まれ。
同年生まれにビル・マゼロウスキー、ドン・ドライスデール、日本では田中 尊、古葉 竹識 、興津 立雄 、片岡 宏雄 、稲川 誠 、広瀬 叔功、根来 広光、榎本 喜八、村山 実、葛城 隆雄。
アルバーストンカレッジから、1954年6月にワシントン・セネタースに入団。
ずば抜けたパワーを見せつけたので、マイナーを経ずMLBデビュー。
計約1週間後の1954年6月23日のシカゴ・ホワイトソックス戦に代走で出場。この鈍重な選手のデビューが代走というのも面白い。
なぜかここから代走での起用が続き、初安打は8月23日のフィラデルフィア・アスレチックス戦。8番二塁で先発出場し、2回にアレックス・ケルナーから中前打。
2年目も少しMLBでプレーしたが3年目にはマイナー落ち。以後、マイナーで修業したのち1959年に正三塁手となり、いきなり本塁打王。
セネタースがミネソタに移転し、ツインズとなってからも中軸打者として活躍。
本塁打王7回、打点王3回、1969年にはMVP。まさにミスターツインズだった。
2000本安打は1974年7月28日のカリフォルニア・エンゼルス戦。トニー・オリーバの代打で8回にノーラン・ライアンから本塁打。
1975年1月にツインズをリリースされたが現役続行の意思が固く、カンザスシティ・ロイヤルズで1年だけプレーして引退した。
1981年から殿堂入り資格ができたが、1年目59.6%、以下59.3%、71.9%ときて1984年に81.3%で殿堂入りした。
2011年に病気で死去。
1965年宮田征典、全登板成績【8時半の男、大活躍】
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
好評発売中!
同年生まれにビル・マゼロウスキー、ドン・ドライスデール、日本では田中 尊、古葉 竹識 、興津 立雄 、片岡 宏雄 、稲川 誠 、広瀬 叔功、根来 広光、榎本 喜八、村山 実、葛城 隆雄。
アルバーストンカレッジから、1954年6月にワシントン・セネタースに入団。
ずば抜けたパワーを見せつけたので、マイナーを経ずMLBデビュー。
計約1週間後の1954年6月23日のシカゴ・ホワイトソックス戦に代走で出場。この鈍重な選手のデビューが代走というのも面白い。
なぜかここから代走での起用が続き、初安打は8月23日のフィラデルフィア・アスレチックス戦。8番二塁で先発出場し、2回にアレックス・ケルナーから中前打。
2年目も少しMLBでプレーしたが3年目にはマイナー落ち。以後、マイナーで修業したのち1959年に正三塁手となり、いきなり本塁打王。
セネタースがミネソタに移転し、ツインズとなってからも中軸打者として活躍。
本塁打王7回、打点王3回、1969年にはMVP。まさにミスターツインズだった。
2000本安打は1974年7月28日のカリフォルニア・エンゼルス戦。トニー・オリーバの代打で8回にノーラン・ライアンから本塁打。
1975年1月にツインズをリリースされたが現役続行の意思が固く、カンザスシティ・ロイヤルズで1年だけプレーして引退した。
1981年から殿堂入り資格ができたが、1年目59.6%、以下59.3%、71.9%ときて1984年に81.3%で殿堂入りした。
2011年に病気で死去。
1965年宮田征典、全登板成績【8時半の男、大活躍】
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
好評発売中!