野村克也とキャリアが全く重なっていたために、ベストナインには一度も選ばれていないが、名捕手だったのは間違いない。

1938年11月生まれ。同年生まれに村田元一、徳武定祐(高校同級生)、山本一義 、三浦清弘、渡会純男、妻島芳郎、並木輝男、権藤 博、黒江透修、MLBではヴァダ・ピンソン、ビリー・ウィリアムス、ウィリー・マッコビー、ゲイロ―ド・ペリー、ジム・カート。

早稲田実業時代は2学年下の王貞治の球を受ける。1957年に毎日入り。

キャリアSTATS

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当時としては大柄で大いに期待され、1年目から佃明忠を差し置いて正捕手となる。
初出場は、1957年3月31日、平和台球場の西鉄戦に捕手で途中出場。初安打は4月8日、後楽園の南海戦。8番・捕手で先発し、8回裏に東実から適時三塁打。

その後打撃不振もあって、谷本稔に次ぐ第2捕手の立場だったが、1964年に正捕手に。65年に谷本が阪神に移籍し、不動の存在となる。

打率は低く打撃は荒いが大物打ちで知られ4打数連続本塁打なども記録している。
小山正明、成田文男、木樽正明、金田留弘ら、東京、ロッテのエース級に信頼された。

1000本安打は1971年6月15日、東京スタジアムの南海戦、8番捕手で先発し、8回裏にTティロットから中前打。

村上公康、榊親一らの台頭で出場機会が減って1975年限りで引退。

引退後もオリオンズでコーチを務める。まさにフランチャイズプレイヤーだった。

1961年に現役復帰した杉下茂が大毎入りした時に、フォークを受けそこなって顎を負傷。杉下茂は今でも醍醐と顔を合わせるたびに「杉さん、これ覚えている?」と言われると話した。


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