12月3日の日本野球科学研究会のシンポジウムで強く印象に残ったのは、西別府病院スポーツ医学センター野球医学科長、馬見塚尚孝氏の講演の中の「野球と貧困」の話だった。


日本の経済格差は過去20年で大きく開いた。貧富の差は増大し、今や日本の子供の16%は貧困層だ。また、母子家庭の54.6%が貧困家庭になっている。

昔はハングリースポーツのイメージがあった野球だ。立浪和義は母子家庭で、母親が美容室を営みながら、息子をPL学園に入れ、スター選手に育て上げた。そういう例は枚挙にいとまがなかった。
しかし、今は「金がなければ野球はできない」のが常識になっている。

まず用具が高い。グラブやスパイク、ユニフォーム、それを収納するバッグの類。
リトルリーグなど、本格的な少年野球チームは、用具、ユニフォームについて指定の店の指定の製品を購入することが決められていることが多い。そういう製品は、量販店の製品より高いことが多いが、そういう取り決めになっている。
近所のおじさんからもらったグラブで野球を始めるようなことは難しくなっている。

これに加え肉体強化のために、プロテインの摂取を義務付けているチームも多い。高校の野球部ではプロテインの摂取はもはや当たり前だ。
さらに、スポーツ整体やマッサージをするように勧めるチームもある。

強いリトルリーグでは「練習についてこれなくなるから」と、投球や打撃の個人レッスンを勧めているところもある。

マスクやプロテクター、ヘルメット、バックネット、ピッチングマシンなど個人のものではないチームの備品も直接、間接に父母の負担になることが多い。

そうした金銭の負担に加え、土日の練習には親が手伝うことが求められる。試合、練習時の水分補給を担当する「お茶当番」が待っている。
また、指導者も含めた遠征試合の費用も父母が負担する。金だけではなく、遠征には親が車を出してついていくことも多い。

共稼ぎの家や、片親の家で、親が時間的に余裕がなければ、こうした要求には応えられない。

最近のスター選手は、自宅にジムや練習スペースがあるような、裕福な家庭の子が多い。
そうでなければ、良い素質をもっていても、上達するのは難しいのだ。

この背景には、少年野球がどんどん特化していることがある。
昔のように「野球を楽しむ」「野球を通じてスポーツマインドを学ぶ」のではなく、「甲子園」「プロ」を目指して子供を本格的に鍛え上げるチームが好評を博しているのだ。
ボーイズ、リトルシニア、そして有名私立高校に子供をやるのは、遊びでも教育でもなく「先行投資」とみなされている。

このために、一部の少年野球、高校野球強豪校はますます設備が充実し、良い素材が集まるようになるが、野球を楽しむような学校は、衰退しつつある。

貧困層の家庭の多くは、いわゆる底辺校に進むが、そうした高校の野球部のかなりの数が、人数が揃わず、試合に出ることが困難になっている。
そういう学校の指導者はユニフォームや用具などのやりくりに苦労している、運動具店に掛け合っていわゆる「B品」を譲ってもらったりOBから寄付してもらったりして、何とかチームを維持している。自腹を切ることなど、当たり前だ。
高野連は人数が揃わない学校が「連合チーム」を組むことを認めているが、ユニフォームもバラバラで、技量も極端に劣るこうしたチームは、強豪校とは力量差がありすぎる。けがの危険性が高まっている。

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エリート主義、勝利至上主義の野球は、敗者、劣等者に対して思いやる視線がない。自分たちさえ勝ち残ればいいと思っている人が多い。少なくともそのように見える。

しかしそうした非エリート層が野球離れを起こすことは、顧客、ファン層が減少することに直結する。

エリート選手の周辺に同心円的に普通の選手がいて、その周辺にはライトユーザーの野球ファンがいる、これが日本野球の人口構成だ。この図式はすそ野の部分から崩れてきている。

この点でもボール一つあれば始めることができるサッカーと野球の差は大きい。サッカーも本格的にやれば金はかかるが、すそ野の敷居ははるかに低い。

片時も社会のことを忘れるな、と言いたいわけではない。しかし野球も社会とつながっている。世の中の動きと無縁ではない。
自分たちが勝つことばかり考えている野球界は、ここでも取り残されつつあるのだ。




nabibu-Yakyu01
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