さして年齢の離れていない野球選手の訃報に接するのはやはりショックだ。巨人戦がトップクラスのコンテンツだった頃、黙々と投げていた。

報知
巨人は20日、元巨人投手の加藤初氏が12月11日に直腸がんのため66歳で死去していたと発表した。妻・和江さんを喪主として、通夜、葬儀はすでに執り行われた。
静岡県出身、吉原商業高から亜細亜大学を中退して地元の大昭和製紙に入り、社会人で頭角を現し、1971年ドラフト外で西鉄に入団。

キャリアSTATS

H-Kato


黒い霧の後凋落著しかった西鉄にあって、1年目から1歳下の東尾修とともに先発の柱となる。
若いころは荒れ球で、ルーキーの年は実に137四球。これは1963年、大毎の小野正一が記録した123を抜くパ・リーグ記録。93年に野茂英雄に148で抜かれたが、今も史上2位の記録。
それでもこの年新人王。人気も出て3年連続でオールスターに出たが、4年目のオフにトレードで巨人へ。

26歳の主力投手をいとも易々と放出した。相手が巨人でもあり、何らかの裏事情があったのではないか。
この年に張本勲とのトレードで日本ハムに去った高橋一三がつけていた「21」を受け継ぐ。

巨人では長くローテの一角として投げる。
相変わらず制球は今一つだったが、試合を作る能力は抜群だった。
また肩を作るのが早かったので、救援投手としても重宝された。
眉毛が薄く、えらの張った容貌は、愛想がなさそうだったが、ひょうひょうとした性格でファン受けもよかった。

初期は王貞治とチームメイト、堀内恒夫、原辰徳から桑田真澄らの時代まで、巨人の歴史をつなぐ存在。生え抜きとそん色のない巨人の顔だった。

我々は「かとうはつ」と呼んでいた。

引退後は解説者も務めたが、韓国での指導者歴が長かった。

「21」の前任者高橋一三と言い、加藤初と言い、早すぎる逝去である。





2015・16年金田和之、全登板成績【2年間で16試合の登板に終わる】

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