今の野球では珍しい、名人肌の名内野手。

1979年4月生まれ。同年生まれに中谷 仁、小田 智之、五十嵐 亮太、能見 篤史、井川 慶 、浅井 良 、石原 慶幸、藤田 太陽、林 昌樹 、MLBではエイドリアン・ベルトレ、アダム・ダン、ココ・クリスプ、マーク・バーリ、ヨハン・サンタナ、ライアン・ハワード、コルビー・ルイス。

桐蔭学園高、東海大を経て2001年自由獲得枠でオリックスへ。

キャリアSTATS

K-Hirano


初出場は2002年7月19日、福岡ドームのダイエー戦、6回裏に大島公一に代わり二塁手で出場。
初安打は、同年9月21日、グリーンスタジアム神戸の近鉄戦、1番二塁で先発し、1回裏に高村祐から二塁内野安打。
1年目は二塁手、2年目の2003年は二塁をオーティズが守り、遊撃、後藤光尊の控えだった。
3年目には二塁の正位置をつかむが、5年目の2006年に外野にコンバート。しかし複数の故障によって離脱。
翌2007年は外野の控え。
2008年にトレードで阪神に。最初のオリックス時代は長打がなかったこともあり、重用されなかった。

当時の阪神、岡田彰布監督は二塁手だった経験から、平野の守備を高く評価。阪神移籍時点ではレギュラーの座は保証されていなかったが、競争に勝って二塁の正位置を確保。

以後、2008、2009年は外野も守ったが、2010年以降の3年間は不動の二塁手となる。

パワーはなかったが、運動神経の良さは、際立っていた。グラブさばきのうまさ、捕ってから投げるまでの速さ、ピポットターンの巧みさ。大柄な鳥谷敬と比べると、俊敏さがよくわかった。平野の場合、小さな体が有利に思えたものだ。肩も強く、外野手としても一流。
ただし、外野でのダイビングキャッチは赤星憲広に戒められた。

飛ぶボールの時代でもあり、2010年には打率2位も記録。統一球になった2011年も3割近くを打ち、打者としても一流だった。
両足をX脚にして、膝でタイミングを取りながら思いバットを振る。いかにも曲者らしく、味があった。早打ちで四球は少なかったが、三振も少なかった。脚も遅くはなかったが、韋駄天ではなかった。このあたり、平野の好悪の別が見て取れて面白い。

2012年FAを行使して古巣のオリックスに復帰。以後もレベルの高いプレーを続けたが、2015年に故障をして引退を決意。

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並みの選手であれば、まだやれただろうが、平野は自分のプレーができないことに幻滅したのだと思われる。
その引き際も鮮やかだった。

引退後は阪神のコーチ。


1973年加藤初、全登板成績

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