調べた限りでは、斎藤佑樹はNPB史上30人目、実際に一軍のマウンドに上がった投手としては27人目の背番号「1」になりそうだ。

背番号「1」の投手列伝。

No1-Pitcher


背番号「1」を背負ってNPBで最初にマウンドに上がったのは、殿堂入りの名選手、宮武三郎。NPB創設の年だ。慶應大学時代から豪打で知られたが、同時にマウンドにも上がっていた。いわば二刀流である。
この年の投手登録には、丹羽淑雄の名前もあるが登板はせず。

近藤久は「15」から1938年に「1」に変えた。この年入団した川上哲治に初安打を許している。

大沢親分の次兄、大沢 紀三男は東急で「1」をつけていた時は外野手登録だったが、もともと投手。「1」で産業・中日で登板している。

有名どころでは大阪の梶岡忠義が2年間「1」で投げた。

岩本信一は殿堂入りした岩本義行の弟だ。

金彦永徳は5年間「1」をつけたが、投げたのは2年だけ。のちKBO創設に尽力している。

大矢根は元は中日のエース。晩年に移籍して「1」を背負った。

並みいる「1」の中に燦然と輝いているのが鈴木啓示。おそらくは最後の300投手になるだろう。西本幸雄をして「近鉄は、鈴木が勝手に投げてる球団」と言わしめた左腕ワンマン。広い肩幅を旋回させて投げていたのが目に浮かぶ。
「世間では『1』いうたら王貞治さんいうことになるでしょうが、うちの家にも同じ番号のユニフォームあるんですよ。SUZUKIって書いてありますけどね」と言ったことがある。

率直に言って鈴木啓示と比べてはすべての選手がかすんでしまうことになる。

名取和彦は1979年の南海のドラ1だが翌年にはトレードに出されて「1」を背負う。

愛甲猛は投手で「1」だったが、野手転向後もそのまま「1」だった。

野田浩司、近藤真一以下の投手は「一から出直し」のニュアンスを感じる「1」だ。
背番号では「0」と同様、「1」もやり直しの意味があることが多い。

最近の大嶺、松井裕樹、今年の新人熊原は、「期待を込めた」「1」だったように思えるが、斎藤佑樹は「出直し」だろう。

「1」の投手の代々記に載るような活躍ができるだろうか?



1973年加藤初、全登板成績

nabibu-Yakyu01

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!