一般市職員の勤務時間中に副市長と賭け麻雀をしていた飯塚市長の会見は、昭和時代の古い映像のようだった。
市長は公務員特別職だから、勤務時間はない。どこでいつ、何をしようと構わない。
その前提で、賭け麻雀は違法かもしれないが、賭けない麻雀などあるのか、と開き直った。
賭けるのが禁止されたら麻雀人口が減ってしまう、と妙なところを心配してみせたりもした。

昭和の時代なら、その理屈でメディアも世間も黙ったかもしれない。それ以前の話として、市長が賭け麻雀をしていたことなど、ニュースにもならないかもしれない。

以前にも書いたが、私は20年ほど前、ある企業の広告宣伝の責任者だった時に、大相撲春場所の懸賞金をもって大阪府立体育館に支払いに行く担当だった。
経理から分厚い札束を預かって府立体育館の事務所に行くと、事務方が相手をしてくれる。事務方の後ろの打ち合わせ室らしき部屋のドアが少し開いていて、そこから「じゃらじゃら」とパイをかき混ぜる音がするのだ。煙草の煙の中で卓を囲んでいるのは、元横綱の大阪場所担当部長、その隣は誰でも知っている人気力士だった親方、他の二人は新聞記者と思しき顔ぶれだ。
昼の日中から、人目もはばからずに麻雀を囲んでいる。20年前でももう平成の世だったが、私は大相撲はだめな組織だなと思っていた。

飯塚は男くさい炭鉱の町だ。昭和中期には、炭鉱が休みの日なら昼日中から雀卓を囲む男はたくさんいたことだろう。麻雀が違法賭博だったとしても、勤務時間だったとしても、「それがどうした、しぇからしか!」という感じだっただろう。
この市長は、町の有力企業の経営者出身らしいから、そういう古臭い体質をたっぷり持っていたのだろう。おそらくは、役所で禁じられている煙草をふかして、卓を囲んでいたのだろう。この雀荘は元市職員の持ち物であり、閉店していたが、市の幹部にはこっそり使わせていたという。また市の出入り業者も麻雀に参加していたという。
飯塚市幹部のための「秘密の隠れ家」あるいは「密談場所」だったのではないか。

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馬場正平の取材をしたときに調べたたが、昔のプロ野球のキャンプでは、宿舎の大広間に雀卓がいくつも並べられ、練習が終わった選手が卓を囲むのが普通の風景だった。
野村克也は、そうした風潮はシーズン中も常態化し、選手の中にはユニフォーム姿で卓を囲む者もいたと語っている。
当時の野球選手は、アスリート(そんな言葉はなかったが)ではなく、肉体労働者だったのだろう。

今のキャンプで麻雀をする選手がどれだけいるか知らないが、恐らく、皆無に近いだろう。ゲームの普及によって、リアルなギャンブルは衰退している。
しかし、そのころの感覚のままの野球人も多いのだ。

今もダッグアウト裏には喫煙室があり、試合中も選手が一服しに来るという。
少年野球の指導者の中には、煙草をくゆらせながら説教を垂れる大人もいるという。中には練習中に缶ビールを飲んでいる輩もいるという。

そういうのが許されたのは、昭和の御代の話だ。
合法だろうと、違法だろうと今はすべてアウトだ。
世論の総攻撃にあって飯塚市長は、前言を撤回した。おそらくは首が飛ぶと思うが、野球人も「昔の常識、今の非常識」を肝に銘ずるべきだ。




1973年加藤初、全登板成績

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