今日は、野球古書の神田神保町「Biblio」さんで、昔のめんこや少年雑誌の野球カードを拝見した。
来年書く本のために、写真が見たかったからだ。色あせたモノクロ写真だが、名前だけ知って顔は知らない半世紀以上前の野球選手たちの顔を見るのは新鮮だった。

分厚いアルバムには、昔のめんこもたくさんあった。モノクロ写真に着色したものや、粗悪なカラー印刷のものばかり。長嶋、王から中日江藤、マーチン、大洋松原らの顔をながめるのも楽しかった。

また先日は、神田の野球居酒屋リリーズで、昭和20年代野球倶楽部の忘年会があった。
昨年も今年も、この席でしゅりんぷ池田さんにお目にかかった。ご存じ、野球カード製作の第一人者だ。
お目にかかるたびに、最新のカードのセットをいただく。今年は1975年のプロ野球カード、森本潔、山田久志、門田博光、山本浩二。長嶋は前年に引退したが、王は健在。しかし、カードとしてうれしいのは、そういう超大物ではなく、パ・リーグの名選手やセでもわき役だった選手だ。基満男なんか出ると非常にうれしい。
しゅりんぷさんのカードは、裏面にキャリアSTATSが印刷してある。簡潔な選手の紹介なども書いてある。
何枚かに1枚は、直筆サインがあったりする。「あ、サインだ」酒席でいい年をした大人が喜びの声を上げる。

こういうものにも、デザインのポイントというのがあるのだろう。大人ごころをそそるような配置のように思える。

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私は、はまってしまうのがわかっているので、こういうカードは集めないでおこうと思っている。
しかし、野球のことをいろいろ書き、関連する人に会ううちに、こういうカードは知らず知らずのうちにたまる。
週刊ベースボールの付録についているのは、封を開けていないのもあるが、相当な数になると思う。

こういう小さな写真に対する愛着は、どこから湧いてくるのかと思う。厚紙に写真を印刷しただけのものであり、今の時代、作ろうと思えば作れるはずだが、それが手札サイズにカットされて、人の手に渡るときには、何か特別の愛着のあるものに変化するのだ。

アメリカのトップスのカードには、プレミアがついているものもある。ホーナス・ワグナーのものなど、凄い高値になっていたと記憶するが、野球カードを投機目的で買う人の気持ちは理解できない。
そもそもこういうカードは、市場ができたり、流通することを前提として作られたわけではない。
今や代表的なトレーディングカードになっているようだが、それに夢中になるのは野球ファンとは少し違うだろうと思う。

野球ファンが、野球カードに夢中になるのは、野球(だけでなくすべてのスポーツはそうだが)は、目の前で演じられてすぐに消えていくからだろう。どんな好ゲームも、あっという間に過去になる。好きな選手の雄姿も、すぐに消えていく。刹那刹那に消費される「プロ野球」の痕跡ととどめておきたいというファンの念が、小さなカードにこもるのだろう。
それは他のスポーツや芸能なども同じはずだが、なぜ、野球カードだけがこれほど熱を持って語られるのか?

それは、野球にはユニフォームやマーク、チームカラーなど、選手のアイデンティティを物語る雄弁なデザイン要素がたくさんあるからだ。

同じ南海のユニフォーム姿でも、昭和30年代はシンプルなモスグリーンのラインが入ったもの、50年代になると緑にピンクのけばけばしいものになったりする。
ライオンズは、身売りの果てに毒々しいワインレッドのユニフォームだった時期があるし、大洋ホエールズはオレンジと緑のコンビネーションだったこともある。日本ハムの7色のユニフォームも信じられない。

そういうユニフォーム姿の野球カードには、当時の世の中の空気が詰まっているような気がする。

野球カードは、野球好きな人でなければ作ることはできないだろう。そして、それを喜んで集めるのも野球好きだ。
野球離れによって、この業界も縮小するのか、それとも、中高年の趣味として今後も健在なのかはわからないが、野球ファンにとって、野球カードがあれば、お酒の席がさらに楽しくなるのだけは間違いないところだ。



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