昭和32年生まれ、ことし還暦の野球人たち。昭和から平成にかけて活躍。

70人いる。誕生日順。

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早生まれでは、なぜか西武の選手がやたら多い。

北村照文は、1985年阪神優勝のメンバー。強肩で鳴らした名外野手。のち西武、

広橋公寿は、西武の代打の切り札。岩隈久志の岳父だ。

金森栄治も、西武でしぶとい打撃で知られた左打者。死球のリアクションで知られる。北村とのトレードで阪神に。

鹿取義隆は、巨人、西武でクローザー、セットアッパーとして長く活躍した。

高橋慶彦は、広島のスピードスター。松田オーナーと喧嘩しなければ2000本はいっただろう。

早生まれは12人。

蓬莱昭彦は、西武で代打として活躍した外野手。

北別府学は、強かった時代の広島カープの大エース。213勝した。

篠塚和典は、首位打者2回の安打製造機。シャープな左打者。通算打率も3割を超える。

杉村繁は、高知高校時代に甲子園で活躍。1歳年下の原辰徳のライバルとされた。プロ入り後はわき役だったが山田哲人を育てるなど名伯楽と言われる。

ボブ・ホーナーもこの年生まれ。現役バリバリのMLB選手。ヤクルトで短期間だけプレーしたが、その驚異的な打棒は、日米の実力差を見せつけた。

尾花高夫は、ヤクルトのエース。3年連続最多敗の不名誉な記録を持つ。投手コーチとしても活躍。

水上善雄は、ロッテの名内野手。ライオン丸と言われたが、引退後は名コーチとして活躍中。

柴田保光は、西武、日本ハムで先発、中継ぎで活躍。

熊野輝光は、阪急、オリックス、巨人で活躍。守備範囲の広い外野手だった。

長内孝は、広島の一塁手、外野手。左打席でのごっつい構えが印象的だった。

山内和宏は、弱かった時代の南海で投げた「山内トリオ」の1人。

福原峰夫は、阪急、オリックスの内野守備の名手。

大川章は、ヤクルトの辛抱強い中継ぎ投手。

山本和範、カズ山本は、近鉄、南海で活躍した強打者。無名選手から這い上がり、何度も首の危機を切り抜けた。

岡田彰布は、早稲田の強打者。阪神では1985年優勝の立役者の一人。監督としても活躍。

トニー・ブリューワは日本ハムの主軸打者として活躍。大きくはなかったがパンチ力があった。

立石充男は南海の内野手。わき役だったが、元気な声出しでチームを勇気づけた。

野球殿堂入りは北別府学1人だ。


1973・74年小林繁、全登板成績【リリーバーとして頭角を現す】

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