今朝紹介したジョー・マウアーとよく似たキャリアをもつスラッガー。

1930年12月生まれ。同い年にディック・グロート、ボブ・フレンド、日本では岩本 尭、東谷 夏樹、荒川 博、沼澤 康一郎 、ジャック・ブルームフィールドグレン・ミケンズ選手ではないがジョージ・スタインブレナー、松田 清。

ウィスコンシン高校時代はサッカー選手として名を挙げたが、ウィスコンシン大学マディソン校では野球をし1952年にデトロイト・タイガースに入団。

キャリアSTATS

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入団年の前半はマイナーでプレーしたが、この年の9月6日のシカゴ・ホワイトソックス戦に、2番遊撃でデビュー。4回にジョー・ドブソンから初安打を打っている。

翌年は最多安打、.308で6位。96%の得票率で新人王に選ばれる。
以後7年間で6回3割、最多安打4回、オールスターに選出され続け、リーグを代表する打者となる。
1958年に外野手に転向。

1960年開幕直前、ロッキー・コラビトとトレードでインディアンスに。大型トレードとして話題になる。
この年も3割を打つが、12月にジャイアンツにトニー・アントネッリ、ウィリー・カークランド(のち阪神)とのトレードでジャイアンツに。

当時のア、ナ両リーグは交流戦もなく、野球のスタイルも異なったとされるが、以後、成績が急落。
カブス、フィリーズとチームを移って1966年、フィリーズをリリースされてキャリアを終えた。

1959年には.314あった通算打率は.303まで下落。

2000本安打は1964年9月22日のヒューストン・コルツ戦。1番左翼で先発し、9回にゴードン・ジョーンズに右前打。

35歳で引退後は、ブリュワーズのコーチになるが、1980年に右足切断。以後も指導者、スカウトとして活躍するが、1988年に死亡した。


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