「甲子園で燃え尽きたい」と高校生が思うのは勝手だが、責任ある立場の大人は、それを許してはならない。
建前でいえば、スポーツは基本的に「一生楽しむもの」であり、「健康で文化的な生活を送るため」にあるものだ。
学校教育でスポーツを学ぶのもそれが前提だ。スポーツで飯を食うのは、例外的な事例であり、誰もがそれで生きていけるわけでもない。
教育におけるスポーツは「スポーツのやり方、トレーニングの仕方」を学び、それを通じて健康を維持する方法を知るとともに、あらゆるスポーツが持っている「フェアプレーの精神」「相手を重んじる精神」「ルールを順守する精神」を身に着けることが目的だ。
優れた技量の選手が大きな舞台に立ち、栄光を勝ち得ていくのは素晴らしいことではあるが、それでもスポーツは長く続く人生の一部であり、すべてではない。
生徒によっては甲子園など大舞台で奮闘することができれば、体が壊れても構わない。以後、野球ができなくても構わないと思う者もいるだろう。
そこまで一事に打ち込みたい、傾注したいという気持ちは多とすべきだが、大人、教育者はそれを容認してはならない。その視野の狭さ、思慮の浅さをたしなめて、考えを改めさせるべきだ。
その理由は、いくつかある。
まず、そこまで打ち込むのは「スポーツの精神」にもとるからだ。スポーツとは、あくまで文化、たしなみであり、一生付き合っていくべきものだ。そして「健康」に資するものだ。
個人が勝手に入れあげて、体がおかしくなるまで打ち込むのは止めることができないが、学校スポーツである限り、体が壊れるまでスポーツをさせるのは本旨にもとる。
次に、そういう過剰な打ち込み方は、他の選手にも影響を与える。
日本では個々が自立していないから、狂気のように打ち込む生徒がいれば「あいつを見ろ」という声が上がる。一番ハードな練習をしていた選手が、スタンダードになりかねない。日本で、トップクラスの部活の部員が、故障者続出なのは、そういう背景がある。
日本人は「ここで死んでも本望」と血相を変えて何かをするのを見るのが大好きだが、あまり品の良くない見世物であると思う。いわば公開処刑のようなものだ。アジアではそういうのをありがたがる風潮があるが、そろそろ日本人も、それを抑制するような理性が働かなければならないと思う。
高野連の八田会長が「甲子園で燃え尽きたい」という選手に理解を示したことからわかるのは、この人が同志社大学の学長まで務めた教育者でありながら、スポーツや教育の意味が分かっていないということだ。
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生徒によっては甲子園など大舞台で奮闘することができれば、体が壊れても構わない。以後、野球ができなくても構わないと思う者もいるだろう。
そこまで一事に打ち込みたい、傾注したいという気持ちは多とすべきだが、大人、教育者はそれを容認してはならない。その視野の狭さ、思慮の浅さをたしなめて、考えを改めさせるべきだ。
その理由は、いくつかある。
まず、そこまで打ち込むのは「スポーツの精神」にもとるからだ。スポーツとは、あくまで文化、たしなみであり、一生付き合っていくべきものだ。そして「健康」に資するものだ。
個人が勝手に入れあげて、体がおかしくなるまで打ち込むのは止めることができないが、学校スポーツである限り、体が壊れるまでスポーツをさせるのは本旨にもとる。
次に、そういう過剰な打ち込み方は、他の選手にも影響を与える。
日本では個々が自立していないから、狂気のように打ち込む生徒がいれば「あいつを見ろ」という声が上がる。一番ハードな練習をしていた選手が、スタンダードになりかねない。日本で、トップクラスの部活の部員が、故障者続出なのは、そういう背景がある。
日本人は「ここで死んでも本望」と血相を変えて何かをするのを見るのが大好きだが、あまり品の良くない見世物であると思う。いわば公開処刑のようなものだ。アジアではそういうのをありがたがる風潮があるが、そろそろ日本人も、それを抑制するような理性が働かなければならないと思う。
高野連の八田会長が「甲子園で燃え尽きたい」という選手に理解を示したことからわかるのは、この人が同志社大学の学長まで務めた教育者でありながら、スポーツや教育の意味が分かっていないということだ。
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そのビールのうまさを知らずに燃え尽きることがいかにもったいないかをきちんと伝えないといけないですね。