NPBでもMLBでも活躍した外野守備の名手。
1969年7月生まれ 同い年に堀 幸一 、高橋 建、久慈 照嘉、加藤 博人、金田 政彦、立浪和義、若田部健一、桧山進次郎、タイロン・ウッズ、片岡篤史、伊良部秀輝。MLBではケン・グリフィJr、マリアノ・リベラ、トロイ・パーシバル。

西宮北高、関西学院大から1991年のドラフト1位でオリックスに。同期の4位はイチロー。

S-Taguchi


入団時は遊撃手。即戦力として期待される。
初出場は1992年の開幕戦である4月4日の千葉マリンスタジアムでのロッテ戦。9番遊撃で先発。
初安打は4月11日のグリーンスタジアム神戸の近鉄戦、1番遊撃で先発。、5回裏に高柳出己から左翼線二塁打。

打者としてはまずまずだったが、遊撃手としてはフィールディングに問題があった。イップスを発症していたこともあり、1年目で遊撃手失格に。
2年目から外野をまもるようになり、1994年には外野と遊撃をかけもちしてほぼレギュラーに。この年はイチローが大ブレークした年。
1995年には外野でゴールドグラブを受賞。イチローの影に隠れて目立たたなかったが、好守好打の名外野手に成長する。
1999年には1シーズンだけ二塁を守る。野手としても使い勝手が良かった。

1000本安打は2000年10月6日、グリーンスタジアム神戸での西武戦。1番左翼で先発し、4回裏に西口文也から中前打 。

イチローの後を追う形で2002年、海外FAでMLBに挑戦。2年240万ドルのメジャー契約ではあったが、開幕ロースターを外れ、AAのニュー・ヘブンでスタート。しかし好成績を残し、AAAメンフィスを経て6月9日、インターリーグ、シアトル・マリナーズ戦でMLBデビュー。9番中堅で先発出場、マリナーズの1番はもちろんイチローだった。

MLBに渡った当初の3年間はマイナーとメジャーを行ったり来たり。しかし2004年からはトニー・ラルーサ監督の信頼を得て、MLBに定着。年俸は55万ドルに下がる。

いわゆる第4の外野手。外野のポジションの穴を埋める存在であり、打順も上位、下位、どこでも打てる使い勝手の良さで出場機会を増やした。

ポストシーズンではほとんど出番がなかったが、2006年は地区シリーズ、リーグ優勝決定戦で4打数4安打、ワールドシリーズでは2本塁打の活躍。世界一に貢献した。
2008年はフィリーズでプレー、2009年はカブスとマイナー契約、シーズンのほとんどをマイナーで過ごし。2010年、41歳のシーズンにオリックスに復帰した。

2年間控え外野手としてプレー。年は食っていたが、立派な戦力だった。

S-Taguchi-P


最高のスーパーサブという言葉が浮かんでくる。
引退後は解説者を経てオリックスの二軍監督。言葉のある指導者でもあり、名監督になるのではないか。

夫人が著したこの本は傑作。必読だ。



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