いきがかり上ではあるが、集中的に甲子園、高校野球について考えている。

甲子園に象徴される高校野球は、野球普及の上で決定的な役割を果たした。これは疑いようもない真実である。しかしながら、来年には1世紀を迎える高校野球は、長く繁栄してきたことの弊害として、多くの問題も抱えている。そして、そうした「罪」の部分は、野球発展の阻害要因になっている。

これを検証してみよう。

■甲子園の「功」

1)野球をナショナルパスタイムに押し上げた
全国中等学校野球大会は、第1回から多くの観客を集めた。すでに大学野球が大人気となっていたことがベースにあるが、連日満員だった。第1回大会が行われた豊中球場は阪急の持ち物だったが、小林一三はこの成功を見てプロ野球興行を思い立ったくらいだ。中等学校野球(高校野球)が全国的な人気にならなければ。野球がナショナルパスタイムになることはなかった。

2)野球を全国に普及させた
大学野球は首都圏と関西圏のエリート大学生による大会だった。都会のファンは大いに注目したが、地方のファンが大学野球に接する機会はほとんどなかった。しかし甲子園は全国の中等学校生(高校生)の大会であり、おらが国の代表の戦いだった。さらに、予選である地方大会も実施されたため、全国津々浦々の学校がこれに参加。これによって、野球は全国に普及した。

3)野球のレベルを向上させた
全国4000校もの学校がノックアウト形式の予選に参加することで、極めて過酷な競争環境が生まれた。学校間、選手間の競争は極めて苛烈で、その結果として野球のレベルは向上した。
プロ野球は、高校野球と言う「人材供給源」がなければ、成立しなかった。

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4)野球ファンのすそ野を広げた
これまでエリート大学生、インテリ層のスポーツだった野球が、一般庶民にも愛好されるようになったのは、地方で中等学校(高校)野球が行われるようになったからだ。どんな田舎へ行っても、男子が通う高校があるところには、野球がある。地域の人々は坊主頭の野球部員が、グランドで野球に打ち込む姿を見ていた。野球を身近な存在にしたのは間違いなく高校野球である。
野球が全国規模の巨大なマーケットになったのは、プロ野球の普及によるところが大きいが、その下地として「野球のルールを知らない者はいない」環境を作ったのは、中等学校(高校)野球である。

5)野球の「良いイメージ」をこの国に定着させた
大学野球は加熱するとともに、プロまがいの世渡りをする選手が出てきたために「不良のスポーツ」と言われかねなかった。明治末年の「野球害毒論」、昭和期の「野球統制令」は、大学野球、社会人野球のプロ化、劣化に対して行われた。日本人は「職業としてスポーツ(遊び)」をすることに強い抵抗感があったのだ。
中等学校野球(高校野球)は、母校、郷土の誇りを背負って戦うものであり、金の匂いも世渡りの下心も感じさせなかった。一発勝負のトーナメントと言うこともあり、球児には「純真」「全力」「さわやか」といった良いイメージが伴うようになった。
より上のレベルの野球が持つ「悪いイメージ」は、中等学校野球(高校野球)によって払しょくされた。いわば「野球の良心」とでもいうべき「純粋性」が付加されたのだ。

6)「メジャースポーツ」のステイタスを維持させている
高齢化、少子化、そして野球離れが進む中で、野球は依然、最も注目度が高いスポーツである。
その最大の要因は、年間2500万人もの観客を集めるプロ野球だが、それとともに春夏の甲子園に合わせて130万人余の観客を集め、全国放送され、優勝チームには多くの注目が集まる高校野球の果たす役割は大きい。多くの人々が「野球崩壊」を信じられないのは、プロ野球と高校野球が大盛況だからである。

こうしてみると、1)から5)までの「功」は、すべて過去形であることがわかる。甲子園、高校野球は確かに、野球の普及発展のために決定的な役割を果たした。
しかし、その大部分は、過去の功績なのだ。

以下「罪」に続く。


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