NPBに続いて、MLBのホームランコンビも見ていこう。
各チーム、各年の本塁打数上位2人の合計。70本塁打以上。2位の本塁打数が同数の場合は、グレー地で表した。3,4位の合計が70本を超えたケースも加えた。ブルー地で表記。
237例、これまた長い表になった。
1位は、皆さんも予想が付く通り、1961年のMM砲。ロジャー・マリスがベース・ルースを抜く61本、ミッキー・マントルが54本の115本。
1チームで2人が50本塁打したケースはこの1例だけ。
これに続いてバリー・ボンズがMLB記録の73本塁打を打った時に、リッチ・オウリリアの37本を加えた110本。
3位がベーブ・ルースがキャリアハイの60本を打った年、ルー・ゲーリッグの47本を加えた107本。
ルースとゲーリッグは「ワンツーパンチ」と呼ばれたが、このほかに合わせて90本以上を2回、80本以上を3回記録。最高のホームランコンビの地位は揺るがない。
100本以上はマグワイア、ランクフォードの101本、A-ROD、パルメイロの100本と続くが、このあたりも薬物の匂いがしてあまり麗しくはない。
90本代にはマリナーズ時代のケン・グリフィジュニアが4回出てくる。A-RODとのコンビが2回、ビューなーとのコンビも2回。シアトル時代には本当に輝いていた。
2005年にはオルティーズ、マニー・ラミレスのドミニカコンビがボストンで92本を記録している。
60本塁打を3回記録したサミー・ソーサだが2人合わせての最高は89本、チームで彼のほかに30本打った選手さえいなかった。これも不自然なことだ。
この表に出てくる日本人選手は1人だけ。
2007年A-RODがキャリア2番目の54本塁打を打った時、松井秀喜は25本塁打。合わせて79本だった。
2016年牧田和久、全登板成績【あらゆるリリーフ承ります】
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3位がベーブ・ルースがキャリアハイの60本を打った年、ルー・ゲーリッグの47本を加えた107本。
ルースとゲーリッグは「ワンツーパンチ」と呼ばれたが、このほかに合わせて90本以上を2回、80本以上を3回記録。最高のホームランコンビの地位は揺るがない。
100本以上はマグワイア、ランクフォードの101本、A-ROD、パルメイロの100本と続くが、このあたりも薬物の匂いがしてあまり麗しくはない。
90本代にはマリナーズ時代のケン・グリフィジュニアが4回出てくる。A-RODとのコンビが2回、ビューなーとのコンビも2回。シアトル時代には本当に輝いていた。
2005年にはオルティーズ、マニー・ラミレスのドミニカコンビがボストンで92本を記録している。
60本塁打を3回記録したサミー・ソーサだが2人合わせての最高は89本、チームで彼のほかに30本打った選手さえいなかった。これも不自然なことだ。
この表に出てくる日本人選手は1人だけ。
2007年A-RODがキャリア2番目の54本塁打を打った時、松井秀喜は25本塁打。合わせて79本だった。
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