監督としても実績を積んでいるが、選手としての記録だけで殿堂入りすべき選手だった。
熊本工時代に甲子園に出場。定時制課程。厳しい家庭環境だったが根本陸夫に見いだされ所沢商定時制に転じ、西武職員となる。実質的な子飼い。1981年にドラフト1位で西武に入団。

キャリアSTATS

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入団時の正捕手は大石友好、南海から来た黒田正宏もいて19歳の伊東は3番手だったが、翌年には3人が併用される。
3年目にレギュラー捕手となり、以後、19年間にわたってライオンズのホームベースを守った。
抜群のリードで投手陣の信頼感を得て、東尾修、渡辺久信、工藤公康、郭泰源、鹿取義隆、西口文也、豊田清、松坂大輔、帆足和幸など、そうそうたる顔ぶれの球を受ける。

やや弱肩であり、盗塁阻止率は良くなかったが、総合的な守備力で、多くのライバルに打ち勝った。

打者としては低打率だったが、チャンスに強く、意外性があった。

伊東が現役中の22年間に西武は14回リーグ優勝。野村克也ではなく、森昌彦タイプの名捕手だったと言えよう。

2002年にはコーチ兼任。引退翌年には監督に就任。

監督成績

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西武1年目は2位ながら下剋上でリーグ優勝を果たす。
以後もAクラスをキープしたが、2007年にBクラスに転落すると解任される。この時期から西武は空気が変わってきたように思える。
解説者としてはMLB中継で、なかなか良い解説をする。
2012年に斗山ベアーズの監督に。このときもNPBとKBOの違いを的確に指摘する良いコメントを残している。

2013年にロッテの監督に。
戦力的に恵まれているとは言えない陣容で、4年中3年ポストシーズンに進出。手練れ、やりくり上手を感じさせる。

学校ではなく、野球に学び、野球で育った名選手、名将だ。
2000本安打は売っていないが、NPB史上に残る名捕手であり、殿堂入りは当然の話だ。


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