「近代オリンピックのヒーロー、ヒロイン」
慶應義塾大学名誉教授、池井優先生の近著である。

ありがたいことに、先生と話をさせていただくことがしばしばある。
当然、私が池井先生と話すのは、野球の話が中心だ。MLBの話など、いろいろ楽しい話をお聞かせいただくが、この本を読むと、先生が「日本外交史」の専門家であることを実感する。そして先生が、その専門分野を踏まえてスポーツを語ることの意味も見えてくる。

この本は、クーベルタン男爵が近代オリンピックを創始してから現在までの歩みが、人物のエピソードを通して語られている。
それぞれの人物のエピソードはすべて興味深いが、それ以上に私が印象に残ったのは、五輪にかかわった人びと、そしてアスリートが、折々の世界情勢や社会状況に強く影響を受けていたということだ。

アスリートが切磋琢磨して自分の技量を向上させ、大舞台で栄光を勝ち取る話は、たくさん本になっている。スポーツ系の本の大部分はそれだ。確かに面白いと思うが、そういうサクセスストーリーはどうしてもステレオタイプに陥りがちだ。また、見方を変えれば独善的な内容になりかねない。
それはそれで、良い読み物ではあろうが、私は優れたアスリートが、時代とどう切り結んだのか、世の中の大きな流れの中で、どう生きたのかをもっと意識した物語が必要ではないかと思っていた。

スポーツは、自己完結の物語ではなく、社会や歴史と無縁ではない。これからは特に、そのことを意識すべきだろうと思っていた。

池井先生のこの本は、まさに「スポーツと世界、社会」の関りが描かれている。「外交史」の専門家がスポーツを語ることの意味はここにある。

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興味深いエピソード満載だが、最初に注目したのは嘉納治五郎のエピソード。嘉納はスポーツの揺籃期にあった日本をオリンピックに参加させるために大日本体育協会を設立するのだ。
日本ではお雇い外国人がもたらした西洋の団体スポーツがちらほら行われていたが、一般国民にはスポーツの習慣は根付いていなかった。このタイミングで体協が設置され、上意下達の形でスポーツが奨励され、優秀なアスリートが見いだされたのだ。今に至る勝利至上主義、エリート主義は、ここにスタートしたと言ってよいだろう。

日本人女子初のメダリストである人見絹江が、優秀なジャーナリストになっていたかもしれなかった話は胸が痛い。
黒人アスリートのジェシー・オーエンスが、ナチスドイツで開かれたベルリン五輪で差別の中で栄光を勝ち得たものの、母国アメリカでも差別を受けて失意のうちに死んだのも重たい話だ。

日本サッカーの育ての親、デットマール・クラマーの物語はその後のJリーグの発展を考えると非常に興味深い。私は昨年川淵三郎さんに話を伺ったが、それを裏打ちするような話だった。。

冷戦と雪解けの中でほんろうされたベラ・チャスラフスカの人生も、味わい深い。

敢えて言うが、アスリートは、現役時代の頑張りだけで評価するのではなく、その後の人生で「いかに生きたか」も加えるべきなのだと思う。有名なアスリートになってから、どんな行いをしたのか、どう輝いたのか。これが大事なのだ。

大松博文と松平康隆、二人のバレーボール指導者の生き方も面白い。高度経済成長期の指導者と、成熟社会の入り口に差し掛かった時代の指導者では、考え方も、指導法も変わってきたのだ。

この本は、野球をはじめとするスポーツに興味があり、広く、深くスポーツを知ろうとする人には必読だろう。

スポーツは、スポーツだけでは成立しえない、常に世界、社会と切り結んでいることを学ばせてくれる一冊だ。


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