史上最高の外国人打者の有力候補。

1967年3月生まれ。同年早生まれには高橋 智 、大久保 博元、初芝 清 、小川 博文、デュウェイン・ホージー、中村 武志、MLBではオマー・ビスケル、ルイス・ゴンザレス、ケニー・ロフトン、マーキス・グリッソム、ジョン・スモルツ、トレバー・ホフマン。

サンディマス高校から1985年ドラフト5巡目でカリフォルニア・エンゼルス入団。

R-Rose


体が小さかったこともあり、マイナーではパワー不足が目立ったが、1989年AAミッドランド・エンゼルスで首位打者を獲得、打撃開眼してMLBに昇格した。このとき打率3位だったのはのちダイエーにきたブライアン・トラックスラー。

この年8月12日のオークランド・アスレチックス戦にMLB初出場。ケント・アンダーソンの代打。8月15日のミネソタ・ツインズ戦では8番三塁で先発し、初安打を含む3打数3安打と活躍する。
翌年以降もMLBとAAAを往復するが、定着はできず。

横浜の海外スカウト、牛込惟浩が注目し、1992年10月16日、横浜と契約。まだ25歳だった。

右打者、中距離打者、出世前、というNPBで出世する外国人選手の条件をすべて満たしていた。
NPB初出場は、1993年4月10日、開幕戦の東京ドームの巨人戦、5番・二塁手として先発出場し、2回表、最初の打席で斎藤雅樹から中前打。

1年目に打点王、本塁打は少ないが、好機に極めて強く在籍8年はすべて80打点以上。マシンガン打線の中軸として活躍した。

1998年の優勝にも貢献したが、キャリアハイは翌1999年、試合数を上回る153打点をマーク。7月22日には6打数4安打10打点を記録。このときも長打は二塁打1本だけだった。

固め打ちが得意で、サイクルヒットを3回も記録。これもNPB記録。

1000本安打は1999年6月19日、函館オーシャン球場のヤクルト戦、4番二塁で先発し、2回表に石井一久から右前打。

1998年には二塁手でゴールデングラブ。守備も悪くはなかった。

翌2000年も絶好調で最多安打を記録するが、オフに年俸契約で合意できず退団。

MLB時代の最高年俸は12.5万ドルだったが、NPBでは3600万円からはじまって96年1.05億円、98年2億円、2000年3.4億円と上がっていったがローズは5億円を希望したという。

決裂後、NPBのオファーはなし。そのまま引退のような形となる。

2002年にロッテと再契約するも、キャンプの紅白戦で自信喪失して退団した。

巨人など、契約してもおかしくなかったと思う。全盛期にキャリアを絶たれたのは残念だった。

今はマイナーリーグで打撃コーチ。昨年まで2年間は、レンジャーズ傘下のA+ハイデザート・マーベリックスにいた。


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