元捕手、生涯50盗塁の鈍足ながら1番で起用されたスラッガー。
1950年10月生まれ。ケン・グリフィ・シニア、ゲイリー・マシューズ・シニア、フランク・ホワイト、グレッグ・ルジンスキーらと同年代。日本では永尾泰憲、大島康徳、井本隆。
サイプレス大学から1969年、シカゴ・ホワイトソックスに入団。
入団時は捕手。次第に外野、三塁などを守るようになるが。メインは捕手。
長打力が評価され、3年目にMLBに昇格。
MLB初出場は1973年5月31日のタイガース戦。三塁の守備固めで出場。初安打は8月11日のタイガース戦、5番右翼で先発し、4回にミッキー・ロリッチから右翼へランニング本塁打。
打率は高くないが、選球眼が良くしぶとい打者。
1977年、ボビー・ボンズを含む大型トレードでカリフォルニア・エンゼルスへ。
移籍2年目には、フレッド・リン、ジョージ・ブレットに次ぐ打率3位をマーク。オールスターにも選出される。
しかし1980年、足を負傷、捕手から左翼にコンバートされる。
ここから長打力を発揮するようになる。もともと足は速くなかったが、その長打力を活かすために、ジム・フレゴシ監督は1番で起用。
先頭打者本塁打を25本打つなど、切り込み隊長として活躍。
1番としては606試合に出場して、659安打、104本塁打、打率.282、OPS.859と存在感を示した。
13年にわたってエンゼルスで活躍。
1990年オフにFAとなり、テキサス・レンジャーズに移籍する。2000本安打は1991年9月14日のミネソタ・ツインズ戦。1番DHで先発し、5回にトム・エデンスから中前打。
以後も勝負強い打撃を見せたが、2年でFAとなり引退。
暫定版・通算セーブ数ベスト10【セーブ採用前の1950~1973まで】
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移籍2年目には、フレッド・リン、ジョージ・ブレットに次ぐ打率3位をマーク。オールスターにも選出される。
しかし1980年、足を負傷、捕手から左翼にコンバートされる。
ここから長打力を発揮するようになる。もともと足は速くなかったが、その長打力を活かすために、ジム・フレゴシ監督は1番で起用。
先頭打者本塁打を25本打つなど、切り込み隊長として活躍。
1番としては606試合に出場して、659安打、104本塁打、打率.282、OPS.859と存在感を示した。
13年にわたってエンゼルスで活躍。
1990年オフにFAとなり、テキサス・レンジャーズに移籍する。2000本安打は1991年9月14日のミネソタ・ツインズ戦。1番DHで先発し、5回にトム・エデンスから中前打。
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アナハイム近郊出身。シャイ&不器用な性格で、初めて女性とデートしたのが23歳のときだったとか。
高校・大学時代はベンチ入りすらままならなかったのに、ホワイトソックスのトライアウトでチャンスをつかみ、ケガを恐れず黙々と役割を果たすプレーを重ね、MLBまでたどりついた職人肌のスラッガー。
地元エンジェルズ移籍後は、チーム打撃記録のほとんどを塗りかえる活躍ぶりで地元ファンのハートをつかみ、人気選手に成長してましたね。当時、エンジェルズのファン向け雑誌『HALO』でダウニングが特集されていて、「ミスター・エンジェル」と冠されていたのを覚えてます。
アメリカがまだカラッとした明るさを持っていた1980年代。そんな時代に輝いた寡黙なヒーローでした。