アル―一家の元締め。勝負強い強打者であり、引退後は名監督となった。

1935年5月生まれ。同い年にはフランク・ロビンソン、トニー・テイラー、ボブ・ギブソン、ジム・ペリー、サンディー・コーファックス が同年代。NPBでは野村克也、阿井 利治、小玉 明利、秋本 祐作、大矢根 博臣、皆川 睦男 、本屋敷 錦吾、森 徹 、土橋 正幸。

3歳下の弟にマッティ・アルー、7歳下にヘスス・アルー、息子にモイゼス・アル―、甥にメル・ロハス、従兄にホセ・ソーサ。

ドミニカ出身。サント・ドミンゴ高から1955年ニューヨーク・ジャイアンツに入団。

F-Alou


ジャイアンツ傘下のDクラス、ココア・インディアンスでいきなり.380、翌年にはAAAに昇格し、3年目にはMLBに。
初出場は1958年6月8日のレッズ戦、一番右翼で先発し、1回の第1打席で、ブルックス・ローレンスから左前打。
ジャイアンツの2番遊撃はダリル・スペンサー、3番中堅はウィリー・メイズ、5番一塁はオルランド・セペダ。

シュアな打撃の外野手として頭角を現す。1962年には.316を打ってオールスターに選出される。
ウィリー・メイズ、ウィリー・マッコビー、オルランド・セペダらと強力打線を組む。

1960年、弟マッティがジャイアンツに昇格、1963年にはヘススも昇格し、9月15日には3兄弟で外野を守る。
しかし3人が同じチームでプレーしたのはこの年だけ。

1964年、大型トレードでミルウォーキー・ブレーブスに移籍。今度はハンク・アーロンとチームメイトに。

1966年にはパイレーツに移籍していた弟マッティと首位打者争いを演じ、2位になる。

以後も中軸打者として活躍するが、1969年、ジム・ナッシュとのトレードでオークランド・アスレチックスに。翌年シーズン中にニューヨーク・ヤンキースへ。
アメリカン・リーグでも好打を見せたが、次第に衰え、1973年にはウェイバーにかけられモントリオール・エキスポズへ、さらにミルウォーキー・ブリュワーズに移籍するが、1974年リリースされた。

引退後はモントリオール・エクスポズ、サンフランシスコ・ジャイアンツで監督として手腕を振るい、14年間で優勝2回、1033勝1021敗を記録。
日本なら合わせ技で殿堂入りしたことだろう。

アル―3兄弟は、フェリペ2101安打、マッティ1777安打(NPBで258安打)、ヘスス1216安打、息子のモイゼスは2134安打。

アメリカには様々な「野球名家」があるが、粒ぞろいと言う点ではアル―家が一番ではないか。

暫定版・通算セーブ数ベスト10【セーブ採用前の1950~1973まで】


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