戦前、戦後に活躍したアベレージヒッター。非業の死を遂げたことでも知られる。

1912年3月生まれ。同年生まれにオージー・ギャラン、ジム・トービン、NPBでは同年早生まれに上田 藤夫、岩本 義行、前川 八郎。

1931年Aクラスのウィチタ・アビエーションズに入団。2年目にパイレーツと契約。

キャリアSTATS

A-Vaughan


当初は傘下のAタルサの所属となったがすぐにMLBに昇格。

MLB初出場は1932年4月17日のレッズ戦、トミー・セブノーに代わって遊撃を守る。1,2番はポール、ロイドのウェイナー兄弟。4番はパイ・トレイナーだった。
初安打は4月28日の同じカード、7番遊撃で先発し、レイ・コルプから三塁打を打つ。

新人王の制度はまだなかったが、打撃11位に入りMVP投票で23位になる。
以後、3割の常連となる。ただし遊撃手としては失策が多かった。

1935年にはジョー・メドウィックに大差をつけて.385で首位打者。リーグを代表する好打者となる。
1937年ころから三塁や左翼も守るようになる。

1941年、トレードでブルックリン・ドジャースに移籍。以後も好打者として活躍。

2000本安打は1943年7月28日のダブルヘッダー、カブス戦の第1戦、1番遊撃で先発し、3回にクラウド・パッソ―からタイムリー二塁打。

第二次世界大戦が終盤に差し掛かった1944年から3シーズンプレーせず。

1947年に復帰、48年までプレーするが、オフにリリースされる。

1949年はサンフランシスコ・シールズでプレーする。このオフにシールズは日本に遠征しているがメンバーには入っていない。

引退後の1952年8月30日、カリフォルニア州のロストレイクで友人と釣りをしていたボーンは、釣船が転覆して溺死した。友人が湖上のボートで立ち上がったために転覆したという。ボーンは岸に泳ぎ着けなかった。
4人の子供を残しての40歳の死だった。



1971~73年新浦寿夫、全登板成績【この1勝までが本当に長かった。苦労したかいがあった】


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