敬遠は野球においては、それほど重要なプレーとは言えない。1試合に1度もあるわけではないし、消極策でもある。しかしそれでもルールを変更するとなると異論を唱えたくなる。


野球が好きな人は、一つ一つのルール、プレーに思い入れがある。インフィールドフライとか、妨害出塁とか、3フィートルールとか、野球をよく知らない人には重要性が理解できないであろう些末なルールであっても、野球好きには思い入れがある。

それらを見直すという話にはいちいち異を唱えたくなるものだ。
野球はアメリカでは19世紀半ばに盛んにおこなわれるようになったが、今に至るルールの改正は19世紀後半にあらかた終わっている。以後の重要なルール改正は、DH制の導入などほんの少しだ。
20世紀に入ってからは、主として記録面が整備された。犠打、犠飛から打点の定義、規定打席、セーブの導入など。選手の評価につながる記録は、今に至るもどんどん手を加えられている。しかし、グランドで行われている「野球」という競技のルールの根幹は、ほとんど変わっていない。

これは、野球という競技の完成度の高さを示しているといえよう。

野球がオリンピック競技になった時期から、またルール改正の必要性が言われるようになった。その代表格が「タイ・ブレーク」だろう。
基本的に「引き分けなし」という基本理念を持つ野球は、勝負がつくまで延々と続けることになっている。アメリカなどではこれを「伝統」として尊ぶ風潮があるが、他の国では何らかの形で折り合いをつけようとする。
NPBでは「引き分け」を導入しているが、オリンピック、そしてWBCなどではタイ・ブレーク制が導入された。
これは、野球を見慣れている人にとっては釈然としないルールだ。延長何回から1死一二塁でスタートするなどとというのは、試合の流れを無視した乱暴なやり方だと思える。
同点であっても、優勢なチームと劣勢なチームがある。何かの拍子にその「流れ」が変わってチャンスが生まれることがある。「タイ・ブレーク」はそうした機微を無視している。
タイ・ブレークは、従来の野球ファンや競技者というよりは、あまり野球を知らない、面白さを深く理解しない人たちのニーズに応えたものということができよう。
内向きで、国際化にあまり熱心ではなかった野球界だが市場を広げ、アメリカ大陸、東アジア以外の人々を取り込むためには、そうしたルール改正もやむを得ないということだ。

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しかしながら、だからと言って、何でもかんでもルールを変えればいいというものではない。
一つ一つのルールには、それなりの意味があり、選手やチームはルールが意味するもの、その背景を勘案して作戦を立て、プレーするのだ。
当サイトでも、「野球は試合時間が長すぎる」とか「ルールが複雑すぎる」などという意見が散見される。「だから子供が野球になじまない」という意見もある。
それは違うと思う。昔の子供は複雑なルールも覚えようとした。草野球をしながらルールのことでわいわい言い合ったものだ。
今の子供が理解できないのは、頭が悪くなったわけではなく、「野球に親しみ、なじむ」空気が急速に失われているからだ。いくらルールを簡単にしたって、そうした空気を醸成しなければ野球の普及は進まない。

MLBでのルール改正の動きは、主として選手の安全面への配慮と、時間短縮を目指してのものだ。それは「選手やファンにやさしい野球」を目指したものというよりは、大型契約をした選手の「資産価値」の保持と、スポーツ中継などのパッケージへの適応を意識したものだ。ビジネスライクなものだ。

他のスポーツを見れば、バレーボールのようにサーブ権を廃止してスピードアップと攻撃的な方向性に変化したスポーツもある。ラグビーもルール改正をしている。
サッカー界では「オフサイド廃止論」が出ているというから驚きだ。

そういう意味ではルール改正の議論が起こるのは、悪いことではないが、「野球をよく知らない人にアピールする」ことが最優先されて「野球をよく知っている人の興味」が損なわれるのはよいことではないだろう。
「野球の魅力」とは何かを考えていくべきだろう。


1971~73年新浦寿夫、全登板成績【この1勝までが本当に長かった。苦労したかいがあった】


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