レッズ時代は二流の外野手。ヤンキースに移籍してスーパースターになった。
1963年3月生まれ。同い年にフレッド・マグリフ、エドガー・マルチネス、ボビー・ボニーヤ、ランディ・ジョンソン、デビッド・ウェルズ、ボビー・シグペン。
1981年ドラフト4巡目でシンシナティ・レッズに。
打撃にはみるべきものがあったが、MLB昇格までに5年かかる。
初出場は1985年9月3日のカーディナルス戦。代打で登場。8回にジェフ・ラーティから三塁に内野安打。
しかし2年間はマイナー暮らしが続く。1987年は代打で40回起用され.297と勝負強いところを見せウ。
1988年、デーブ・パーカーの移籍に伴って正右翼手に。
選球眼もよく、まずまずの成績だったが、傑出した存在ではなかった。
1992年11月にトレードでヤンキースに。
いきなり3割を打ち、翌年には首位打者。6年連続3割をマーク。三振の少ないシュアな打撃でチームに貢献。
ファイトが前面に出るハッスルプレーで、人気を博した。
レッズでは主軸としての活躍が期待されたが、ヤンキースにはボッグス、マッティングリー、バーニー・ウィリアムスなどの大物選手がひしめいており、プレッシャーを感じることなくプレーできたのが大きいのではないか。
ポストシーズンには95年から7年連続で出場し、299打数85安打11本塁打39打点打率.284をマークしている。
2000本安打は2001年7月27日のブルージェイズ戦。6番右翼で先発し、7回にクリス・カーペンターから右前打。
2000年にFAとなり、ヤンキースと1年契約。翌年再びFAに。まだまだ働けると思われたが2001年限りで引退。
レッズ時代は2618打数679安打96本塁打 打率.259
ヤンキースでは4700打数1426安打185本塁打 打率.303
引退後はヤンキースのアナウンサーとして活躍している。
2016年J.ルーキ、全登板成績【リーグ3位の39ホールドポイント】
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選球眼もよく、まずまずの成績だったが、傑出した存在ではなかった。
1992年11月にトレードでヤンキースに。
いきなり3割を打ち、翌年には首位打者。6年連続3割をマーク。三振の少ないシュアな打撃でチームに貢献。
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レッズでは主軸としての活躍が期待されたが、ヤンキースにはボッグス、マッティングリー、バーニー・ウィリアムスなどの大物選手がひしめいており、プレッシャーを感じることなくプレーできたのが大きいのではないか。
ポストシーズンには95年から7年連続で出場し、299打数85安打11本塁打39打点打率.284をマークしている。
2000本安打は2001年7月27日のブルージェイズ戦。6番右翼で先発し、7回にクリス・カーペンターから右前打。
2000年にFAとなり、ヤンキースと1年契約。翌年再びFAに。まだまだ働けると思われたが2001年限りで引退。
レッズ時代は2618打数679安打96本塁打 打率.259
ヤンキースでは4700打数1426安打185本塁打 打率.303
引退後はヤンキースのアナウンサーとして活躍している。
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