400フィート打線の中核を担ったスラッガー。私は間に合っていないが、ぜひ見てみたかった打者だ。

杉山光平、全本塁打一覧|本塁打大全
1927年8月生まれ。同い年に米川泰夫、MLBではネリー・フォックス、リッチ・アシュバーン、ビリー・ピアース。トミー・ラソーダ。

静岡商業、静岡師範、専修大学を経て1952年、近鉄に。

キャリアSTATS

K-Sugiyama


投手が投球動作を始めるまでは、バットをだらっと下げたまま。そこからおもむろにバットを立てて構えに入るという誠に代わった打法。自己流で編み出したものだ。

近鉄ではその打法が受け入れてもらえず、腐っていたところを南海の山本一人監督に誘われて移籍。
南海は「100万ドルの内野陣」から、中西、豊田の強打の西鉄に対抗するため「400フィート打線」へと路線転換を進めていたが、その最後のピースとして入団。

シュアな左打者として活躍する。

三振が非常に少なく、狙った球をはっしと叩く勝負強い打者。「円月打法」で人気となる。

ただ独自の打撃理論を貫くことへのこだわりが強く、周囲との軋轢があった。このあたり、のちの前田智徳に少し似ているかもしれない。

1962年にトレードで阪急に移籍するが、これはチームで浮いた存在だった杉山の救済のためのトレードであり、鶴岡親分は呼び戻すつもりだったという。

1964年に復帰。当時としては異例の高齢の39歳まで現役を務めた。最終年はコーチ兼任だったが、引退後は野球界を離れる。

まだ存命のはず、である。


1962年橋詰文男、全登板成績【日本一を陰で支える、ワンポイント】


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