掛布雅之のライバル、という位置づけで語られることが多い外野手。
1951年8月生まれ。同い年に同い年に藤波 行雄 、鍛治舎 巧、木下 富雄、新浦 壽夫、福間 納 、鈴木 葉留彦、ゲーリー・トマソン、栗橋茂、柳田 豊、有田 修三、加藤 博一 、スティーブ・オンティベロス(野手)、河埜 和正、八重樫幸雄、岡持和彦。MLBではデーブ・ウィンフィールド、デーブ・パーカー、バディ・ベル、バート・ブライレブン。

前橋工業、中央大学を経て1973年ドラフト1位で阪神に。

N-Sano


初出場は1974年4月28日、甲子園の広島戦、8回裏に後藤和昭の代打として出場し、8回裏に横山小次郎から初安打。

入団時は内野手。体は大きくなかったがパンチ力があり、三塁手の後藤和昭からポジションを奪うと期待されたが、同期の高卒掛布雅之が佐野を追い越す形で正三塁手となる。
佐野は3年間三塁で出場するが、3年目の途中から外野に転向。

翌1977年の4月29日、川崎球場での大洋戦で左翼を守って飛球を好捕したが、外野の壁に激突。頭蓋骨陥没骨折の重傷を負う。
この事件は特に関西のファンに衝撃を与えた。ワイドショーでは川崎球場の外野壁を再現したセットが組まれ、出演者が事故を再現した。
この事故によって、NPBの本拠地球場の外野壁にはラバーが張られるようになった。それまではコンクリートむき出しだったのだ。
今も、各球場の外野のラバー壁を見るたびに、佐野を思い出す。

ブランクはあったが、以後、見事に復帰、左翼を守り、勝負強い打者として活躍する。
1000本安打は、1984年8月22日、ナゴヤ球場の中日戦、三番左翼で先発し、1回表に都裕次郎から記録。

1985年の優勝時には、バース、掛布、岡田の後ろを打ち、しばしばタイムリーを打った。
三振が少なく、犠飛が多かった。良くボールを見極めていたということだろう。

掛布より1年長く現役を勤め、引退後はコーチ、スカウトとして阪神一筋で働いている。

オールスターに10回選ばれMVPも3回とった掛布とは対照的に、佐野は一度も球宴に出ていない。


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