「職業野球」と「プロ野球」、日本と台湾、投手と野手、いろいろな意味で「二つの野球人生」を送った偉大な選手。
1916年6月生まれ。同い年にヴィクトル・スタルヒン、中山 武、長谷川 治、鶴岡 一人、藤村 富美男、藤井 勇 、MLBではエノス・スローター、ボブ・エリオット、マリー・ディクソン。

台湾、原住民の出身。嘉義農林では甲子園で活躍。「KANO」の世代より後。映画ではそれらしき少年も出てくる。1937年に巨人に入団。

キャリアSTATS

S-Go


投手成績

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本名は呉波。入団1年目の開幕戦である4月28日の上井草球場、金鯱戦に1番中堅で先発。古谷倉之助から初安打を打つ。

戦前は、俊足、強打のリードオフマンとして活躍。1942年、43年と連続首位打者。物資が窮乏し、ボールが飛ばなくなる中、42年は史上唯一の「2割台の首位打者」になる。43年にMVP。

1944年に巨人を退団して帰郷を考えるが、曲折あって阪神に移籍。嘉義農林時代は投手も兼ねていた。戦後最初のシーズンは投手としてもプレーし、14勝を挙げる。この年は規定打席にも規定投球回数にも達する。完全な二刀流。

阪神でも1、2番を打って活躍。俊足、守備範囲も広く外野手としても優秀。

2リーグ分立時には若林忠志らとともに、毎日に移籍、すでに30代半ばだったが、打撃、足ともに衰えず、1年目の優勝に貢献。41歳まで現役を務めた。

引退後は日本に住み、毎日のスカウトなどを務める。晩年は不遇だったというが、巨人、阪神OB戦の常連、小柄でいつも笑顔を浮かべていた。

1987年死去。95年の殿堂入りが間に合わなかったのは、つくづく残念なことだ。



2013~2016年東浜巨、全登板成績【輝き再び、2ケタ勝利まであと一歩】


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