昨日の中居正広の件では、ほぼ予想された意見が上がってきた。もう少し踏み込んでおきたい。
野球だけでなく、テレビの番組は料理に例えることができよう。
スポーツなり、音楽なり、演劇なり、何らかの材料、素材がある。テレビ局は、これを「料理」して、「番組」という商品にし、客に供するわけだ。

スポーツという素材は、本来、そのものが高品質の内容を持っている。
凡人ならぬアスリートが高いパフォーマンスを見せるのだから。ましてや国際大会は、プレーするものも見るものも「国を背負う」という気概をしめすから、真剣度は上がる。
何度も言う通り、WBCは、いろいろ問題が多い大会だが、いざはじまると真剣勝負になるから試合は盛り上がる。

料理でもよい素材はなるべく手を加えずに客に供するべきだといわれるが、WBCも素材そのものの味わいを損なうことなく提供すべきだ。

スポーツ番組に本来関係がないタレントが出るのは、局、スポンサーによるところが大きい。
スポーツそのものでは視聴率が取れないのではないかと危惧する向きが、バラエティなどで確実に視聴率を稼ぐタレントを混ぜ込もうとするのだ。
これ、料理でいえば、本来の素材とは関係のないお添え物、デザートの類だといえよう。
確かにあればうれしい人もいるだろうが、邪魔だという人もいる。
特に中居正広のようなやたら知名度の高いタレントは、そのポピュラーさゆえに存在が目障りに移ることもある。

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WBCに中居を出演させるのは、和食のフルコースにプリンをつける様なものだと思う。
プリンとしても、和食に合うようにいろいろ工夫をしているのだが、所詮プリンはプリンである。なまじそういう工夫があだになることもある。

私は「プリンはまずい」とは言っていない。
プリンはおいしい、しかし食べる場所を選ぶだろうと言っている。そして質のいい和食にプリンは必要ない、と言っている。
「それでもプリンがついていた方がうれしい」という人もいるかもしれないが、私はそうは思わない。

WBCは、とびきり腕のいい料理人が作る和食のコースのようなものである。ふつうにみるだけで面白い。
余計な味付けやお添え物なしに、素材をそのまま味わいたい。中途半端なアナの絶叫や的外れの解説はいらない。ましてや畑違いのポップなタレント=プリンなど、必要ないでしょうと言っているのだ。

「プリンに釣られてお客が来るかもしてないじゃないか」放送局はそう考えている。しかし、そういう効果があるかどうかは、怪しいものだ。
プリンが好きな人=中居正広ファンは、そのときはWBCを見るかもしれないが、もともと好きでなければ、中居がいなくなれば野球中継など見ないだろう。
中居ファンを野球ファンにするのは、そんなに簡単な話ではない。

スポーツ中継にタレントを出演させる手法は、すでに手あかがつきまくっている。
そして多くは、特にスポーツファンのサイドから散散の悪評を食らっている。もう終わった手法だ。

WBC放送への中居正広の出演は、バレーボールのコートでアイドルが飛んだり跳ねたりするのに比べれば、はるかにましだとは思う。
しかし、WBCの雰囲気と違和感ないように溶け込もうという中居の努力、解説者に伍して意味のあることとを言おうとする努力は、そもそもがナンセンスだ。
「商売は道によって賢し」という言葉があるが、テレビの商業放送では誰がものをいうかも大事だ。同じ言葉でも、しかるべき立場、見識を有する人が発するか、そうでないタレントが発するかで大きく変わってくる。
彼が「WBC大好き芸人」でそれをやるのなら、いいと思うが。

中居がWBCで存在意義を見出すとすれば、ちまちました専門知識をひけらかすのではなく、その場の雰囲気にぴったりの気の利いた応援をするとか、そっちの方向ではないか。
それがうまいこと行くかどうかは知らないが、まだそのほうがましではないかと思う。


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