J SportsのWBCの解説をしていたから、もうとっくに引退したと思っていたが、今のタイミングだそうである。
スポニチ

 引退の決断を後押ししたのは、侍ジャパンの奮闘で「WBCでの選手のガッツや投球を見て自信がなくなった」と説明した。今後はこれまで同様、野球評論家として活動する。

彼は解説の仕事をしながら、心中復活を期する気持ちがあったのだろう。しかしWBCの解説をして、彼らのプレーを見るうちに現実を知ったと言うことだ。

キャリアSTATS

K-Kawakami


徳島商から明治大学を経て、1997年ドラフト1位逆指名で中日に入団。

1年目からエースの成績を上げる。
2年目以降低迷するが、明治大学の大先輩、星野仙一監督の直系として投げ、2004年には17勝で最多勝。MVP。この時期からリーグを代表する先発投手となる。

フィールディングもうまく、打撃にも意欲的。その点でも星野の後継者と言えた。

2008年海外FA権を行使してアトランタ・ブレーブスに移籍。

1学年上の黒田博樹に続く、セのエース級の海外流出ではあった。

1年目の成績は黒田と似たり寄ったり。ここから適応していくかと思えたが。
2010年は4月は4試合投げて4敗、以後も勝ち星が上がらず黒星を9つつなげてしまう。
6月15日の時点で防御率は4.42、良くはないが、援護点が少なく、同情の声があった。
しかし6月26日に初勝利を挙げた後、ブルペンに配置転換、マイナー降格。以後、ほとんど登板機会を与えられなかった。

2011年は契約が切れたこともありキャンプ招待選手。MLB昇格はなかった。

中日に復帰後も右肩痛に悩まされる。2014年は開幕投手になるが、成績によるものではない。

2015年に退団してからも現役復帰の道を模索していた。とはいえ40歳を過ぎて、現実的な選択肢はなかった。

右肩痛を発症したことも大きかったが、その実力、実績からして、黒田のようにMLBに適応する可能性もあったと思う。紙一重の差ではなかったか。
残念なエンディングではあったが、中日のエースとして君臨した実績は、高く評価される。


2016年B.ヘーゲンズ、全登板成績【セットアッパーで頑張りマシタ、先発モネ】

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