プエルトリコとオランダの準決勝が始まっている。私は身構えてテレビ観戦している。どっちが勝ってほしいのか、自分でもわからないがわくわくしている。高揚感がある。
しかしながら、この瞬間にも野球の練習をしている人はいるだろう。
月曜で、全国的に雨模様だけども、ひょっとすると散髪屋さんの組合では、草野球や練習をしているかもしれない。WBCも気になるが、野球は見るよりするほうが好きだという人もいるだろう。

甲子園の高校野球は順延になった。選手たちの中にはWBCを見たいと思っている人もいるだろうが、おそらく指導者は室内練習場で軽く練習をさせることだろう。

野球の楽しみは、実に様々だ。野球が好きと言っても、野球のプレーが好きなのか、試合が好きなのか、選手が好きなのか、体を動かすのが好きなのか、応援するのが好きなのか、試合のデータを見るのが好きなのか、歴史を学ぶのが好きなのか、それは様々だ。
「野球」という言葉をキーワードに、さまざまな楽しみを持つ人がぶら下がっている。野球だけではないが、あるジャンルの"ファン"とは、そういう多様性を持つ人の集まりだ。

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今、起こっている"野球離れ"とは、どこでどう括っても「野球」という言葉が引っかかってこない人が増加しているということだ。
小さいころから野球に親しんでいた人は、例えば駅で電車を待っていたり、行列に並んでいるときに、体幹をよじって投手の動きを真似ていたり、打撃フォームをまねていたりする。
昔の子供は、いわばそういう「野球しぐさ」が身に備わっていた。野球を本格的にしない子供でも、そういう身のこなしを知っていた。

今、少年野球をやらない子どもで「野球しぐさ」をする子供はどれくらいいるだろう。それをしない子の多くは、高校野球も、WBCも、プロ野球にも興味はないのではないか。公園や空き地でリフティングをするような子どもが、野球に興味を持ってくれるのだろうか。

WBC人気を野球の普及に活用するとは、そうした熱気を「野球」というキーワードに結びつけて、世の中に広く、薄く拡散していくことだと思う。
坂本のユニフォーム姿にぐっとくる女性がいてもいいだろう、小林誠司が好きになる女の子がいてもいい。筒香のフォームをまねる子供がいてもいい。飲み屋でWBCの話題で盛り上がるのもいい。

そういう空気につながって高校野球やプロ野球、MLBの放送が流れていけばいいのだと思う。

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野球界は「強制」が大好きだ。
昨年から、高知県高野連は野球離れの対策と称して「県下の高校野球部員は全員、県予選を観戦するように」とお達しを出した。その間練習をしたい生徒、休養や勉強に当てたい生徒もいる。球場まで来るのに時間がかかる学校もある。
そういうこまごまとした事情を無視して、「みんなで試合を見ろ」というのが、今の野球界、とりわけ高校野球である。
「野球を見てくれる人を増やす」と言う発想ではなく「強制的に見させる」のである。まだ自分たちに主導権があると勘違いしているのだ。

野球の普及とは、野球界のおえらいさんが「みんな野球を見ろ」と言うことではない。
好きなもの、好きになれそうなもののなかに「野球」をさりげなく潜り込ませて選択肢にすること。そして、その魅力を多彩にアピールすることだ。

WBCやオリンピックの野球競技は、確かに野球普及の絶好の機会だ。
しかし「これを見ないのは非国民だ」「WBCもみないとは、それでも高校球児か!」みたいな乗りは、逆効果だ。そういうことを言う人はみんな嫌いだ。野球界にはそういう人は多いけれども。
WBCを見るより野球をするほうが好きな人、オリンピックよりも地域の高校野球を見たい人、みんなOKだ。
その上で、野球ブームをうまく生かしていく。生活の中に「野球」を忍び込ませていく。
そういえば、私の友人にはこういうクリエイティブをしている人がいる。

Amemoto


マーケティングのプロの知恵が必要だろう。知らない人に優しく野球を伝えていく。ソフトタッチのアプローチが本当に欲しいところだ。


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