野球界では球数制限をはじめとする投手の酷使への配慮は、すでに常識になっている。
球数制限は制度としては導入されていないが、MLBでもマイナーでも普通に行われている。100球以上投げると肩、肘に過剰な負担がかかるとする「PAP」という考え方が広まっているからだ。
もちろん、それだけ投げたから確実に故障するということではない。故障のリスクが高まるということだ。
PAPが低くても怪我、故障をする選手はたくさんいる。球数制限は万能ではないが、一番確実な「肩、ひじ故障の予防策」だとされているのだ。

NPBでは球風制限はMLBほど厳格には導入されていない。しかし外国人投手の中には明らかにそういう契約をしていると思える投手がいる。また高卒1年目の投手はあまり無理をさせない。
NPBの場合、先発投手は登板間隔が広い。MLBが4~5日なのに対し、NPBは6~7日。ローテーション投手はMLBが4~5人なのに対し、NPBは原則6人だ。
ダルビッシュが主張したように、100球を大きく超えて投げても登板間隔さえ開ければ肩、肘は回復するというのがNPBの立場だ。

MLBでは先発投手の登板間隔が短い上に、救援投手も数多く投げる。NPBでもそういう傾向はあるが、MLBでは救援投手は消耗品と考えられているようでもある。

見えない部分でいえば、アメリカでは練習やウォームアップの球数も厳しく制限されるが、NPBはそうではない。ある程度投げ込まないと肩ができないと思われているからだ。

日米での「投手の投球制限」に関する考え方は、大きく異なっている。しかし、両者ともに「投げ過ぎはだめだ」という認識は定着している。球数を抑えるか、登板間隔を開けるかして、投手の消耗を防ごうとしている。

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しかし高校野球は、球数制限も登板間隔の制限も行っていない。
今日のように延長戦の挙句に引き分け再試合となれば、翌日に両者はまた対戦する。頼れる投手がいないチームは、昨日投げた投手がまた投げることになる。

今、FBで意見交換をする中で、報知新聞の蛭間豊章記者は「なぜ翌日の試合をサスペンデッドにしないのか、16回からやらないのか」と言っておられたが、もっともな話だ。それならば極端に言えば1点入った瞬間に終わるから、5分、10分で終わることもある。
なぜ9回までもう一度やらなければならないのか。
トーナメントの場合、タイブレークも当然考えられる。

第3試合の福井工大福井―健大高崎も7-7で引き分け再試合になった。

昔は決着がつくまで延々と試合をしていた。それに比べればましだが、なぜもう1試合やらなければならなのか?なぜ改革が遅々として進まないのか。

高野連に決定的に欠けているのは「選手を守る」という発想だ。スポーツは常に故障のリスクが伴っている。指導者、管理者は何よりもそのリスクを軽減し、選手の安全を確保しなければならない。
しかし、その当たり前のことができない。その発想がない。
高野連の八田会長は「甲子園で燃え尽きたい選手もいる」と言った。トップがトップだから、仕方がないのかもしれないが、高野連にとって一番大事なものは一体何なのか?「伝統?」「甲子園の盛り上がり?」「美学?」「自分たちの面子?」。

朝日新聞、毎日新聞はなぜ高野連の方針に異を唱えないのか。学校の「いじめ」には、厳しい記事を書くのに、甲子園と言う公の場でかくも理不尽な措置が行われいることに、なぜ異議を唱えないのか?社会の木鐸としての機能は商業主義の前には眠ってしまうのか。

どんどんスポーツ界は進化している。「プレイヤーファースト」が当たり前になっている。もはや高校野球はまともなスポーツとは言えない。
それが理解できず、「わしらのころはそうではなかった」だの「甲子園の伝統」だの「精神論」だのを口にする老人には退場願って、早急に手を打つべきだ。



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