新聞記者が良い記事を書かない最大の理由は、新聞そのものがそういう記事を求めていないからだ。
例えば「矢のような送球を本塁に送り、三塁走者を本塁1m手前で刺した。走者は唖然とした顔でベンチに戻った」と書いても、デスクは「好返球で本塁タッチアウト」と書き直すだろう。
そもそも記者は、そういう書き方をせよとは教えられない。
簡潔に、そしてだれが書いても同じ「新聞の文体」で書くことを求められるのだ。
面白く書くことは、最初から求められていない。事実を正確に書くのが新聞なのだ。

クオリティを維持することは大事だ。
しかし、以前の新聞は、もう少しエッジが立った文章が多かった。記事に載った言葉が翌日、球場で話題になることもあった。
「あの記事書いたの誰だ、おまえか?」と巨人のコーチが報道陣をねめまわすこともあったのだ。

しかし今の新聞は何につけ「傾斜すること」を怖がる。
どこからも批判が来ないように「中立の立場」を装う。報道には「公正」こそあれ「中立」などあり得ないと思うが、牙を抜き、毒を吐かず、一生懸命「事実を面白く無く伝える」ことに腐心しているように思える。

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スポーツ新聞はもはや「報道」の名に値しない。
今朝の日刊スポーツ関西版の一面は「大乱闘」。バレンティンと矢野燿大コーチの退場がでかでかと載っている。阪神は開幕ダッシュに失敗して1勝3敗、恃みの藤浪晋太郎は8与四球と阪神ファンにはうれしくない春だが、そのことよりも「小競り合い」のことを大きく扱っているのだ。
贔屓チームの負けを大きく扱うと新聞の売上が落ちる。さりとて、他チームのことを書くわけにはいかない。逡巡の挙句、どうでもいい「乱闘」をトップに持ってきたわけだ。

「伝えるべきものを伝える」のではなく「読みたがるものを伝える」というジャーナリズムの風上にも置けない姿勢で作られているのだ。
しかも最も低いレベルの読者を相手にして紙面づくりをしている。多くのファンは、誰が誰をどついたかより、知りたいことがあるはずだ。
スポーツ新聞も、批判的な記事で、クレームがつくことを極端に恐れている。球団の顔色を窺い、怒られないように、汲々としながら記事を書いている。
それもあって、つまらない記事になっているのだ。

一般紙もスポーツ紙も、毎年発行部数が減っている。今や新聞を取らない、読まない家庭も多くなった。

ジャーナリズムの使命を忘れ、常に誰かに気を使っておどおどしながら書いているような記事など、金を払って読む価値はない。

そういうことだと思う。野球と新聞は、下り坂と言う点で軌を一にしている。
新聞の再生も、野球界のためには必要なことだ。


開幕戦本塁打王は誰だ!(後編)

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