戦前、戦後を通じて活躍した強打の捕手。
1921年7月生まれ。同年生まれに松井 信勝、川崎 徳次、伊勢川 真澄、多田 文久三、大島 信雄、三輪 八郎、MLBではロイ・キャンパネラ、ウォーレン・スパーン、ハル・ニューハウザー。
名捕手が多い。

米子中学時代に甲子園に出場。1940年に阪神に入団。

キャリアSTATS

T-Doigaki


初出場は1940年5月6日の南海戦、7番捕手で先発するが1打席で田中義雄と交代している。
この年は名捕手田中の影に隠れていた。
1941年は正捕手となるが、42年打撃を活かすために三塁手にコンバートされる。

1943年応召、プロ野球が再開した1946年に正捕手となり、ダイナマイト打線の中軸となるが、1950年、10年選手の権利で毎日に入団。
2リーグ分立に伴う阪神、毎日の喧嘩とは無関係の移籍だとされたが、新聞ではそのようには書いていない。やはり下交渉があったとみるべきか。

毎日でも強打の捕手として活躍。東映、阪急を経て引退。

引退後は、夫人の実家である京都、若松家の養子となる。この家は呉服屋だが、岳父は大陸に利権を持ち、京都、さらには日本の政界に隠然たる影響力を持つ黒幕だったという。婿養子の若松武こと土井垣は当然、表の顔だった。

解説者、コーチも勤めたが、経済的に安定していて、生活の不安はなかった。

巨人、阪神OB戦に良く出ていたが、驚くほどの小柄だった。


開幕戦本塁打王は誰だ!(後編)

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