ルー・ブロックとならぶスピードスター。日本にも大きな影響を与えた。

1932年10月生まれ。同い年にドン・ブラッシンゲーム、ディック・スチュアート、ロン・ポドレス。日本では山内 一弘、北川 芳男、渡辺 清。

ワシントンDCのカルドーゾ高を経てブルックリン・ドジャースに入団。しかし有望選手とは見なされず、6年にわたってマイナー暮らし。
1957年にはレッズ傘下のシアトル・レイニアーズに移籍するも翌年、ロサンゼルスに移転していたドジャースに復帰。

キャリアSTATS

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1959年MLB昇格。6月6日のミルウォーキー・ブレーブス戦に8番遊撃で先発。投手はサンディ・コーファックス。初安打は翌日の同じカード、8番遊撃で先発。投手はドン・ドライスデール。8回表にボブ・バールから中前打。
ドン・ジマーと遊撃手の座を争う。翌年には初の盗塁王。1962年にはタイ・カッブのシーズン96盗塁を超え、MLB史上初の100盗塁を達成、MVPに輝く。
この年の165試合出場はMLB記録。

以後もスピードスターとして安定した成績を残す。6年連続盗塁王。

1966年12月、ボブ・ベイリー、ジーン・マイケルとのトレードでパイレーツに移籍。パイレーツでは三塁を守るが盗塁数は下落。

1968年オフ、拡張ドラフトでモントリオール・エキスポズに移籍。パイレーツはウィリスをプロテクトしなかった。

しかし69年の6月にマニー・モタと複数選手のドラフトでドジャースに復帰。以後4シーズンプレーして引退した。

このオフに野村克也がウィルスと交渉していると伝えられた。また阪急に臨時コーチとしてやってきた。

この縁で息子のバンプ・ウィリスが阪急でプレー。

B-Wills


こちらはアリゾナ州立大から二次ドラフト1巡目でレンジャースに移籍。3年で昇格し1年目に新人王投票3位になるなどエリートだったが、わがままで、急速に評価を下落させ、日本にやってきた。

小柄だがアフロヘアが強烈な印象。福本豊と強力な1,2番を組むと思われたが、気まぐれで、日本の生活になじめず2年目の途中で帰国。この年限りで退団した。


1976年東尾修、全登板成績【チームはどん底ながら、連続2ケタ勝利】

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