WBCでアメリカが優勝したことでMLBのレベルの高さを改めて知らしめた。しかし、MLBそしてメジャーリーガーがWBCに身が入っていないという現実は変わらない。
その最大の理由は、選手の側からいえばWBCで活躍しても「WAR」などの指標と関係がないからだ。
いくらいいプレーをしても、好打を連発しても、快投を演じても、WARはぴくりとも動かない。
WARなどセイバー系の指標は、あくまでMLBのレギュラーシーズンに基づくものだ。162試合の中での数値だ。
それ以外の試合は、エキシビションであれ、スプリングトレーニングであれ、WBCであれ、等閑視されるのだ。

本来、野球の数字はその選手の「評価」の一端だったはずだ。打率も打点も本塁打も勝利数も防御率も、その選手のパフォーマンスの結果だった。しかし記録が表彰の目安になるとともに、野球選手は「数値目標」を掲げるようになった。
ここまでは良いと思う。他のスポーツも同様だが、アスリートが「数値目標」に向けて頑張るのは、自然な成り行きであり、近代スポーツは「数値目標」とともに進歩してきた。

しかしWARなどセイバー系の数値は、これら旧来の数字とは一線を画している。WARは、その選手の評価そのものであり、マネーと直結しているのだ。
精度が高く、運や不公平な要素が入り込む可能性が低い分、選手評価の指標として極めて信頼性が高い。そのために極論すれば、WARの1点は1000万ドル、のような感じになってしまったのだ。

MLB選手は、WARを上げるために存在している。他の試合に出ることは、意味がない。それどころか怪我や故障、消耗のもとになるから、忌避すべきだ。
レギュラーシーズンは、選手のパフォーマンスを見せる「ショーウィンドー」だが、同時に、そこでの数字が選手の評価=WAR=$を決めるという点では「市場」でもある。WBCは市場ではないために、無価値だとされているのだ。

WBC同様、WARと無関係なオールスターゲームも形骸化しつつある。
私は同様にポストシーズンが、WARを気にする選手や代理人によって忌避される時代が来るのではないかと思う。
事実、スコット・ボラスは2015年9月、ニューヨーク・メッツに対し、トミー・ジョン手術明けのマット・ハービーに今後投げないように要請した。
ハービーはこの年は以後も投げて素晴らしい成績を上げたが、翌年再び故障をした。ボラスの陽性には妥当性があったとは言えるが、選手を温存するために、ポストシーズンを忌避した例として記憶されるべきではないかと思う。

日本の高校野球は「伝統」「母校、郷土の栄誉」のために、選手が消耗することが続いている。これは空しくて愚かだと思うが、「マネー」のために、栄誉や野球の楽しみそのものを選択しないMLBのトレンドも、悩ましいと思う。

野球の理想郷は、その間くらいにあるのではないか。

PB110208


1976年東尾修、全登板成績【チームはどん底ながら、連続2ケタ勝利】

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