「サンデーモーニング」で張本勲が、阿部慎之助の走塁を批判した。これをまた野村克也が批判したという。
張本は11日の巨人・広島戦での阿部慎之助の野戦に対し、
「喝! 前進守備でホームに投げる体勢をつくっている。ゲッツー(ダブルプレーの)体勢じゃないから。試合に負けたでしょう。1つのエラーが尾を引く場合がある」
と非難した。

野村克也は巨人、中日戦で、ショートゴロに倒れた阿部慎之助が一塁まで全力で走らず、ベースの手前でアウトになると「阿部も張本になっちゃったな。(一塁まで)走らない」「張本なんて、ピッチャーゴロ打つだろ。一歩も走らない。ベンチに帰っちゃう。日曜に”喝!”ってやってるだろ。お前にそんなこと言う権利あるか」
ともに報知

野村は張本の日曜日の発言を批判したわけではない。ただ、阿部がらみの批評に対して野村がかみついたのだ。

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私はちょっと考えてしまった。私も以前、現役時代守備がお粗末だった張本勲がまずい守備に対し「喝!」とやるのを批判したことがある。しかしこれ、良くなかったのではないかと思う。

現役時代にどういう選手だったかと、評論家として何を批評するかは別の次元の話だ。

選手晩年の張本が凡打で走らなかったからと言って、同じプレーをした阿部を批判する権利がないと断じてしまうと、批評はどんどん狭苦しくなる。
はっきりは覚えていないが、野村克也だって、現役晩年、ちゃんと走っていたとは思えない。

そもそも、張本勲は若いころ走塁の名手だった。通算319盗塁。トリプル3はないが、20-20を4年連続を含め5回も記録している。投手の息を盗むのがうまく、誠にうまい走塁をした。
野村克也は117盗塁。捕手としては少なくない。本盗を7回も決めている。多くは重盗で、投手のすきを盗んだものだ。しかし、盗塁数でいえば張本の走塁を批判できないことになる。

現役時代の成績が、評論家としての言論を左右するというのはそもそもおかしい。指導者も同様だ。
昔、青田昇は福田昌久が巨人の一軍打撃コーチをしていた時に「現役時代カーブが打てなかったやつがコーチをしてるから巨人の打者はカーブが打てない」と言った。心無い言葉だと思った。荒川博をはじめとして、現役時代は大したことなくても、名伯楽として大選手を育てた指導者はたくさんいる。

そして評論家として素晴らしい解説をした人もたくさんいるのだ。小西得郎、佐々木信也に始まって青島健太、栗山英樹など現役時代の実績がなくても野球ジャーナリズムで功績を残した人は多い。

確かに現役時代の実績は、解説をするうえでも役には立つだろう。金田正一の投手論、張本勲の打撃論は今も一流のはずだ。しかし金田が打者のことを、張本が投手や守備のことを語る資格がないわけではない。金田は解説席で滔々と打撃論を披露したことがある。張本も投手の批判をする。

解説者が現役時代の経験に立脚して解説をするのは当然のことだが、専門外のことも同じ野球の領域なのだから、話す権利はある。むしろ引退後に勉強をして見聞を広め、現役時代にはなかった視点を持ってもらいたいと思う。

川藤幸三は首位打者争いについて聞かれ「わしゃそんなんしたことがないから知らん」と答えたことがある。投球や守備についてもまともな解説をしたことがない。いつも精神論、根性論だ。これは彼自身が代打の経験しかなく、語る資格がないと勝手に思っているからだ。それを良いことにあまり勉強していないともいえるだろう。

江本孟紀は、「江夏の21球」を読んで「山際 淳司は野球をやったことがない、一発でわかる」と言った。スポーツノンフィクションの金字塔も野球人にかかってはかたなしだ。

それを言われれば、プロ経験も、本格的な野球経験もない私たちなどは、口をつぐんで座っているしかないということになる。

反対に言えば、現役時代の実績に胡坐をかいて、ふんぞり返ってモノを言っている解説者。ろくに勉強もせず昔の手柄話を飽きもせず語っている評論家。実績のない野球人や素人、部外者を馬鹿にしている大御所に、何を語る資格があるのか、と問いたい。
野球は大きく変化している。それを理解せずに百年一日のごとき言葉を繰り返す野球人に、何の価値があるのだろう。

張本勲を弁護したわけではないが「お前にそれを言う資格はあるのか」という言葉は、今後使わないようにしようと思った次第。


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