勝負強い打撃が売りのスラッガー。DH導入によって寿命が延びた選手。

1949年6月生まれ。同年生まれにビル・バックナー、テッド・シモンズ、マイク・シュミット、リック・ラッシェル、ジェリー・ルス。NPBでは川藤幸三、弘田澄男、村田兆児、中村勝広、今井雄太郎、伊原春樹、浅野啓司、鈴木 康二朗、平野 光泰。

オースティン高から1967年ドラフト2巡目でボルチモア・オリオールズに入団。

キャリアSTATS

D-Baylor


マイナー時代は長打よりもシュアな打撃で注目される。

MLB昇格は1970年9月18日のクリーブランド・インディアンス戦、5番中堅で先発し、1回、最初の打席でスティーブ・ハーガンから中前にタイムリーヒット。1番ドン・ビュフォードと2番チコ・サルモンを本塁に返している。

1973年、ビュフォードが太平洋クラブライオンズに移籍し、左翼のポジションを得る。

当初は2番、6番当りを打つ打者だったが次第に長打を打つようになる。

1976年、レジー・ジャクソン、ビル・ホルツマンらとの大型トレードでアスレチックスへ。このオフにFAとなり、77年はカリフォルニア・エンゼルスに移籍。この段階まではさしてとりえのない平凡な外野手だったように見える。

しかし1979年全試合に出場し、139打点で打点王。地区優勝に貢献し、MVPに輝く。オールスターにも出場。

1980年ころからはDHとしての出場が多くなる。中軸打者としてヤンキース、レッドソックス、ツインズ、アスレチックスでプレー。

強打者ではあったが、三振は少なく、本来はシュアな打撃もできた打者だろう。長打を求める周囲の期待に応えて本塁打を打っていたのではないかと思う。

引退後は、監督として2球団を率いる。

D-Baylor-MNG


ア・リーグ育ちだったがナの球団の監督となる。新球団ロッキーズの監督として高い評価を得たが、カブス時代の評価は低かった。

打撃コーチ、解説者などを歴任して現在に至る。



1976年東尾修、全登板成績【チームはどん底ながら、連続2ケタ勝利】

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