昨日のテレビで、宝塚音楽学校の入学式の模様を報じていた。今年は松岡修造の娘が入学したこともあって、注目度は例年になく高かったようだ。
松岡修造は宝塚を作った小林一三の曽孫だから、まあ身内だ。叔父にあたる小林公平は宝塚歌劇団のトップを永年勤めていた。

関西人はたいてい宝塚歌劇は一度や二度見に行ったことがあるものだ。私も何度か観劇したが格別の感慨はなかった。昔はそれほど人気のあるものではなかった。
しかし最近は異様だ。楽屋の入り口には列をなしてファンが「出待ち」「入待ち」をしている。ごひいきの役者用のプレゼントを売る店がたくさん並んでいる。宝塚歌劇場界隈には「違う国」みたいな空気が漂っている。

とりわけ異様なのは阪急宝塚駅のホームで散見される光景だ。音楽学校の生徒と思しき少女たちが、直立して電車が出るのを見送って深々と頭を下げているのだ。
その電車には、先輩や宝塚の役者たちが乗っているのだ。少女たちは、電車越しにその先輩に挨拶をしているのだ。

音楽学校の生徒は100m先に先輩を見つけても深々とお辞儀をする。音楽学校の廊下では下級生は端っこしか歩けない。
またレッスン中は、下級生は床の汚れをみつけたら駆け寄ってガムテープで剝がしとる。そのために、下級生は制服やスカートの裾に短く切ったガムテープを貼り付けておくのだという。

テレビでは「大したもんだねえ」「そこまでやるから立派な役者になるんだ」と感心しきりだったが、私が宝塚に何とはなしの気味悪さのようなものを感じる理由が分かった気がした。

華やかできれいごとの世界ではあるが、宝塚でやっていることは、昔のPL学園など野球馬鹿養成学校と変わらないのだ。絶対服従の鉄の上下関係を作って、そのなかで一方的に芸を仕込んでいくのだ。
上に従順な扱いやすい人間を作ることはできるだろうが、自分で考える力、クリエイティビティはまともに育つのか、大いに疑問だ。

宝塚歌劇場と甲子園球場は同じ空気が流れているように思う。

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私は芸人の世界を知っている。2年間だが落語家の社会にいた。ここでも上下関係は厳しく、挨拶は口うるさく言われたが、それは外側だけだった。
落語家仲間の野球に、ときおり明石家さんまが飛び入りでやってくることがあったが、試合が終わるとさんまは財布から万札を数枚出して「兄さん、これで何か食べてください」と言い、先輩の噺家は「さんま、すまんなあ」と言った。上下関係の外形上のマナーさえ守っていれば、あとは実力の世界だった。宝塚や野球よりはるかに大人の世界だった。

思うに、日本人はこういう「上下関係」が本質的に好きなのだろう。先輩や師匠に頭を下げて、教えを乞う。それを麗しい先輩後輩関係、師弟関係と讃えてきたのだ。
往々にして絶対的な上下関係は、腐敗する。おかしなことが横行するが、日本人は見て見ぬふりをして「麗しい」「かくあるべし」とほめたたえてきたのだ。

こういう風潮が続く限り、日本は限界を超えることができないのではないか、と改めて思った次第。



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