第二次世界大戦前から戦後にかけて活躍した俊足、好打の外野手。
1910年10月生まれ。同い年にディキシー・ウォーカー、ディジー・ディーン、スクールボーイ・ロウ。日本では大和 球士、牧野 直隆。

ジョージア州出身。大学を経て1931年にエルミラ・コロネルズに入団。

キャリアSTATS

W-Moses


1934年、ガルベストンからフィラデルフィア・アスレチックスに譲渡される。

翌年、.345を打って6位に入る。この年も含め6年連続で3割を打つ。1936,37年と200安打を打ったが、アスレチックスでこの後200安打を打ったのは、2002年のミゲル・テハダだった。
ライナー性の打球を打つのが得意。長打はなかったが、足も速く、主としてリードオフマン、2番打者として活躍。

外野手としては右翼を守ることが多かったが、強肩で補殺も多かった。

1939年にベニー・マッコイトのトレードでデトロイト・タイガースに移籍が決まるが、トレードは無効となり翌年1月にチームに戻る。

1942年、トレードでシカゴ・ホワイトソックスへ。5シーズンを過ごすが、打率は下落した。しかし三塁打、二塁打でリーグ最多を一度ずつ記録。

戦争後の1948年7月にボストン・レッドソックスに譲渡される。このオフにFAとなり、アスレチックスに戻る。
1951年にリリースされキャリアを終える。

引退後は打撃コーチなど指導者の道を歩んだ。


先発投手の白星がついたのは何試合目?

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